26日目 準拠
何に準拠しているかが重要。
感情や思いは大切だが、それが基準になることで本質が見失われることがある。
なんのためにこの行事をするのか。その目的はなんなのか。主役は誰か。
拠り所となる理論があることで、頭でっかちな印象を与えてしまうかもしれない。
ただ、準拠しているものがあれば、自信になる。何より、物事の目的に向き合える。
振りかざしてしまうと、軋轢を生む要因にもなる。
理論だけでは心は動かないが、理論無くして行動の目的は説明し得ない。
学校では、この準拠しているものが感情面になっていることが多いように感じる。
「行事を無くしたら子どもの成長の機会を奪うことになる」
確かにそう言える部分もある。だが、では行事が本当に全部必要かと言われれば、見直していく方が多いのも事実だろう。
準拠先は、感情ではなく、背景にあるルールや決まりに求めることをする必要がある。
要するに、「なんのためにこれをするのか」の裏付けができるものを持つ、ということだ。
感情を生かすために、感情以外の理論面での拠り所を持っておく。
その感覚を忘れずにいたい。
さて、今日は駅で遠足帰りの子どもたちを目にした。
ふと、懐かしい感覚にとらわれた。自分が現場から離れたことを、改めて実感した。
これまで、学級担任という仕事を外から見るという経験は、してこなかったのだと感じた。
よその先生の実践も、同僚との関係性も、どこかで「自分なら」という視点が働いていた。それはそれでよかったのだと思う。
自分の知らなかった世界をたくさん知れることは、とてもありがたいことだ。
今、そういう経験がたくさんできることに感謝したい。
そして同時に、今日見た子どもたち、そして学校の先生方に返せるような仕事をしていきたいと思えた。
自分を成長させるための歩みを止めずにいたい。