まちの個性
まちの個性を際出させようとして「何かイベントを」と考える。それで、とりあえずは先行している成功事例をあたるわけです。こういうイベントは「行政主導」だったり「まち有志」という複数者で行われることも多いので、合議を固めるためにも「先行事例」は便利です。でも、この時点で、イベントは、そのまちで創造されたものではなく「既製品の中から選択されたもの」になります。
つまり、選択されたイベントは「このまち」以外の「まち」での成功事例。それを移入することになるわけですから「このまちの個性」に合わせて企画されたものではありません。目を凝らせば、実際には「このまちならでは」の魅力があったとしても、それ以前に自ら進んで、凡百の類似品の中に迷い込んでいくという構図です。
しかもインターネットがある時代は情報の拡散が早い。アート・フェスなどともいわれる手づくり市、 よさこい、マルシェ…先行事例は瞬く間に全国区の「凡百」になります。こうなっても、オリジナルこそ不動なんですが、複写されたものは複写されたものである限り来場者に見放されます。
そして まちの個性…
たぶん、まちの個性は、本来、そこが商店街なら、そのまちの「個店」に委ねられるべきものなのでしょう。全国区のフランチャジーばかりのまちと面白い個店が集まっているまち。明々白々だと思います。
全国区のフランチャジーが目立つまちで、全国区に凡百なイベントを繰り返しても、所詮は灯篭に斧。フランチャイジーに埋め尽くされたところで勝負は見えていたのです。
ステレオタイプなタワーマンションで住民を増やして、一見「これから」の景況を見せている街も、凡百の街になるのなら、人々はどうしてもその街に暮らさなければならない理由を失うはずです。忘れてはいけません。この国は急速に縮んでいるのです。
僕は、若い人たちが自分の脚でしっかりと立つように営業されている小さな個店に期待しています。業種は様々ですが、ひとつ共通点があるのは、どのお店の店主さんもみな「やさしい方」だということです。団塊の世代も、彼らが若者だった頃には、こういう開業に熱心だったんですが「俺の個性を見ろ」とばかりに牙をむいたお店ばかりで閉口したものです。でも、近頃の店主さんたちは、みな穏やかです。斜に構えて閉じこもっている感じでもないんで、周辺の店舗さんとも友だちになるし、また、同じように開業を目指す人を助けたりもします。
「集める」ではなくて「集まってくる」なんでしょうね。
きっと、個性を光らせるまちって、こんな感じに「できていくもの」なんだと思います。