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あの風景

東京駅から京葉線に乗って葛西臨海公園駅に向かって下っていくと、地下を来た京葉線は潮見駅から「高架」になる。潮見駅のひとつ前、越中島駅あたりは、もともとは隅田川の河口にあった中州(だから「島」)、つまり、潮見駅より先はずいぶん低いんだなと思う。

このあたりの埋め地は、長い間、物流拠点。つまり倉庫群だった。それと、船舶の修理関係、船部品を造る鉄工所を中心にした工場群。その沖は産廃処分場。雑草以外は緑が見当たらない殺風景なところで、そこに働く人たちの昼飯さえ、弁当持参か仕出しに限られるような、僕が子どもの頃はそういう空間がずっと続くような感じだった。

そんな空間が、京葉線を東京から千葉に向かって「右側だけ」は、葛西臨海公園のように緑地化され、埠頭にも「親水性」を加味して、緑地な遊歩道などが整備された。
でも「左側」はあいかあらず。役目を得つつある「工場群」が大規模集合住宅になったりしているんだけど、その「大規模さ」とアスファルトの街路が、全体を、この街を「緑乏しき空虚な空間」のままにしている。

僕も、ヨコハマの埠頭近くの殺風景の中で育った。

子どもっていうのは、どんな環境だって遊び場にしてしまうしぶとい輩で、それなりに思い出をつくるし、「殺風景」にも無自覚だったりする。

でもね。

やっぱり、四万十や仁淀川の流れを身体の一部のようにして育った子どもたちの方が豊かな環境に育ったことには違いないと、いい歳になってみると、そう思う。あの風景の中で育ったことを、「ハンディ」のように思うようにもなってきている。

それなりに遊具の揃った公園があったって、大型ダンプの排ガスだらけの空間に猫の額ほどの公園じゃあしょうがない。海があったって、プラスチック・ゴミ漂う海じゃ、子どもだけでなく大人にだって、それは切ない空間だろう。

繰り返すけれど、子どもはそれでも元気に遊ぶ。それに、今や僕が思う以上に子どもたちのマジョリティは「インドア派」なのかもしれない。でも、彼らが子どもだった頃に蓄積された「記憶」は、彼らが大人になってから「財産」にも「負担」にもなるものだと思う。

そんな彼らに大人がしてやれることは何なのか。

子を持つ親でなくとも真剣に考え、できることは行動に移していくべきなんだろう。

受け継ぐべきではない風景があるんだ。