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清涼な海

僕は港近くで育った。横浜港だ。マリンタワーと同じ年だ。生まれて月も一緒だ。港の見える丘公園は1年後輩にあたる。

予定日を過ぎてもなかなか産まれず、その日、オヤジはオフクロの妹を連れて、マリンタワーに来ていた。そこで館内放送で呼び出しを受けて、病院へ。拍手で送られて赤面だったらしい。オフクロは、苦しいときにいなかったと、後々まで恨み節である。

そういうわけで、僕は歩いて5分で「海」というところに育った。

子どもの頃、僕が寝ていた部屋には、夜になると、まだ現役の灯台だったマリンタワーの塔頂部で回転する赤と緑のライトが差し込んだ。

街は、沖仲仕(荷運びを主とする港湾労働者である)の街。商店街、風呂屋の前には洋品店があって、沖仲仕たちは、風呂に浸かれば、下着から全部買い替えて、今着ていたものは全部捨てていった。板一枚で船と船の間を荷物かついで渡るような仕事だったので、賃金は破格の日払い。だから、そんな生活だった。町内にあった鉄工所の2階は賭場になっていて、警察の手入れが入ったとき、そこから飛び降りて逃げて無傷だったことが自慢話しになるような街だった。100mと少しの商店街に角打ちは3軒あった。

ベイブリッジと氷川丸

歩いて15分ほどで山下公園。だから元町も近い。丘の上は山手のカソリック教会がある山手の住宅街である。黒澤明監督の「天国と地獄」も横浜が舞台だったが、あんな感じのコントラスト。

あれが唯一無二の海だと思っていた。

初めて瀬戸内らしい瀬戸内を訪ねたのは、ずいぶん歳をくってからだ。きっかけは、映画「がんばっていきまっしょい」(磯村一路監督/1998年)だった。松山東高のボート部をモデルにしたという青春物語。あんなにキレイな部活があるのかと、最初は「彼女たち」の残像を追いかけるように、松山市の「伊予鉄高浜線港山駅と梅津寺駅の間にある浜」を目指した。

ただ。見惚れた。視覚だけでなく五感で見惚れた。

松山東高校ボート部の艇庫前のおだやかな海
松山東高校ボート部艇庫

帰りは梅津寺駅から。奇跡のような景観だったので、上下ホームを行ったり来たりしながら写真を撮った。深呼吸したくなるような清涼な海だった。

梅津寺駅

「ああ、これが海だ」と思った。直感的にそう思った。

横浜の場合、海は、同じ海でも「淀み」と形容した方がいい気がする。いつだって油が浮いているイメージがある。港に注ぐ「川」も天然の川ではなく、掘削された「運河」だ。やはり澱んでいる。「流れ」は、ほとんど可視できない。紙粘土で整形して青い色を塗ったような海なんだ。

あれから小豆島に行ったり。淡路島を経て高松へ。瀬戸大橋を渡ってみたり。まだメジャーなポイントしか知らないけれど、たびたび瀬戸内能見を訪れている。

海を感じたいからだ。

横浜港は産業のため、貿易のための港だ。そういうことが海を変質させてしまったのかもしれない。

いずれにしても、横浜港の海は瀬戸内の海とは異質の海だ。工業港でもあるはずの高松港も、横浜港に比べれば軽やかだと思っている。

高松港
小豆島へ

港の海も、海は海。でも、どこかかが違う。

瀬戸内の海だって、きっと、やさしいだけの海ではないのだろう。でも、操船できない僕が船を走らせてみたくなる海なんだ。