見出し画像

量としての集客

80年代後半からの横浜の中華街などが、その「典型」だと思うけれど、街全体が「量としての集客」に傾注してしまうと、当然のことながら、そのお客さんは裾野に向かって開いていく。つまり、もともとの「中華街通(つう)」あるいは「中華街Lover」は、中華以外を離れていって、通りすがりの一見さんをこそ「量」として集めることになってしまう。知らず識らずのうちにそうなってしまうものだ。

もちろんリピーター候補生の含有量は少なくて、イベントなどの振興策も「賽の河原」。経験の浅い消費者を相手に、判りやすいからと空間性を肥大化させながら、料理の味などソフトの面での工夫はおざなりになって、しばし。でも市場がデカいから、こてでしばらくは保ってしまう。少し前の川越、鎌倉の小町通りあたりもこんな感じだろうか。メジャーな雑誌が「街」として特集を組む頃には、かつては質的な魅力に富んでいた街も、描割りにに囲まれた映画やテレビのセットみたいな表層だけの街になってしまっている…といった具合。

で。

量として集客されたお客さんこそが、工業生産時代の終焉とともに購買力を減退させていく。「量として多い」のは、たいていがマニュアル・レーバー時代の労働者であり、組織の時代の管理者。これから就業は不安定になり、親御さんや自分の長期な老後に公的なサポートは薄く、さらにインフレ。あまりいい話ではありませんが、飲食&買い物するゆとりは失われていくのだと思う。

でもね。

ギリギリの客単価で品数勝負してきた料理を、繊細に気遣いされた逸品のラインに戻すのは、ほぼ不可能なこと。アベノミクスの後遺症に、ウクライナという世界的な食糧生産地が戦場に。たぶん、10年を経ずして「ぺんぺん草」かな。

いわゆる売春防止法の施行を経て「吉原」がああいう街であるように「街」には不思議な命脈を持つ街があったりもするのだけれど、北海道の江差町は、かつてニシン漁で「江差の五月は江戸にもない」と謳われた街。でも今は見る影もなく、限界集落化。量としてのお客さんは消費者。そのとき、お金を支払って消費はしてくれますが、お店を育てるようなことはしてくれない。ある日「ニシン」がぷっつりと来なくなるように、街を消費し尽くせば、その街に、二度と脚を運ばなくなるだけ。

質(しつ)に留意せず「網を入れれば」と図に乗っていると、足元を救われるということ。

僕らはこういうことを目の当たりにするかな。
すでにインバウンドな外国からのお客さん。特に欧米なお客さんの「志向」は「量としての集客」を目指した街とは、全く別なところにあるでしょ。盛岡とか只見線とか。

横浜の中華街でも、そういう「志向」に戦力になりそうな店は、引退しちゃってるか。中華街を離れてしまっている。一人=1万円のおまかせで、1日2組までっていうお店は、今は鶴見に移転して、相変わらず看板も出さず。
今はもうちょっと値段もあがっちゃってるんだけど、3年先まで予約いっぱい。

そういう店は今の中華街にはなくて、中華街ランドな空間だけがあるだけなんだ。

ぢっと手を見る、だね。