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多くの人が仕事を求めて「大都市(特に東京)」に集まってくる。故に「大都市」は過密。外国人の投資家の介入もあって不動産価格は高止まり。不動産に関する経費が高ければ、食品やモノを売ること、飲食するんだって高止まり。託児施設だって高い家賃と無縁ではない。
給料が上がったって、それが広範な「消費拡大」に繋がるかどうか。税金だって、これからは負担増だ。
つまり、子どもを産み育てる環境ではない。
大都会で子どもは増えない。
地方には頑張ってる自治体もあるけれど、総じて「過疎化」だ。仕事がない。だから若い人はいなくなる。子どもは生まれない。
つまり、日本中で子どもは生まれない。
そういうわけで、15歳〜64歳までの生産年齢人口は、最速だと、あと100年でゼロに…というのが増田寛也さんたちの「懸念」。
「なーんだ。100年後のこか」と思われる方もいるかもしれないけれど「100年で」というのは、実際には、もの凄いスピード。
総務省統計局が2014年の1月20日に発表した、わが国の人口推計(2013年8月時点での確定値)によれば、全人口は1億2733万6千人で前年同月に比べ21万9千人の減少。0~14歳人口は1643万6千人で,前年同月に比べ15万3千人の減少。15~64歳の人口は7918万2千人で前年同月に比べ120万8千人の減少。65歳以上の人口は3171万8千人で,前年同月に比べ 114万2千人の増加。
わずか1年で120万人以上の減少。
あっさり「スピード」は、始まっているというわけだ。
(さいたま市の人口が126万人)
2014年からすでに10年がたとうとしている。
運転手さんが確保できなくて、路線バス、タクシーが回せなくなってきている。これを理由に無人化が進もうとしているが、人々の就業をバランスよく確保しながら「無人化」を進めることができるかどうか。
僕は疑問だな。
気を遣いながら「みんな」に伍してマニュアル・レーバーをこなしてきた大半の就業者はどうする。急に個人的な「働き方改革」は至難だよ。
エッセンシャル・ワークの中には「無人化」が不可能なものが多いけれど、この分野で就業するには、それなりの特殊技能が要求されるし、なによりも、持続的な「高い就業意識(意欲)」が求められる。
誰もができることではない。
そして、知価生産への転業は、もともと狭き門だ。
こういうことが、本格的な少子化時代の「前触れ」のように、この国を襲う。つまり、まず「大失業時代」があって、その後に「15歳〜64歳までの生産年齢人口は、最速だと、あと100年でゼロに」へと時代は続く。
首をすくめて過ぎ去るのを待つには長い。
僕などはアラ還だから、何十年と持久戦を強いられて、夜明け前に死ぬ感じ。
周囲の様子を見てからなんてゆとりはない。
マスクの着脱とは話が違うんだ。
僕は準備を始めている。「何十年と持久戦を強いられて、時代の夜明け前に死ぬ」は嫌だからね。
もちろんセルフ・サービスだ。
でも、世間は静かだ。「きのうまで」が、そうは変わらずに「あした」にも続いていくと思っているかのよう。
あの頃=1945年の8月14日まで、こんな感じだったんだろうな。
うすうす、そうかなと思いながらも、多くの国民は、この国が負けると思っていなかったし、だから「負けたらどうなる」を考えてもみなかった。
だから、多くの人が、実際に戦争に負けたら「死ぬ思い」だった。
実際、たくさんの人が亡くなった。記録上は「肺炎」や「老衰」の死であっても、その実、「餓死だった」という例も珍しくなかったという。
どないしよう。
急にイーロン・マスクさんになれるわけでもなし。行けるところまで行くか。
でも、その後、どうしよう?
そう遠くまでは行けないよ。
でもなぁ。
やっぱり怖いよ。
ただね。
時代は非情なんだ。待ってはくれない。
あっさり「残念!」っていうんだ。
わずか0・01秒差でパリ五輪に行かせてもらえないみたいに。