私立のまちづくり
井ノ口香さんの著作「記憶をコントロールする」(岩波書店)に、こんな一節がある。
陳述記憶というのは、言葉によって他の人に伝えることができる記憶です。自分の経験をはじめ、人から聞いた話、本や新聞で読んだ知識、テレビやインターネットから得た知識などが含まれます。〈中略〉非陳述記憶には、手続き記憶や条件反射などが含まれます。手続き記憶というのは、泳ぎ方や箸の使い方、車の運転といった身体が覚えている記憶です。
ご承知のように、役所は何でも書類で動く。つまり、陳述記憶に拠ってしか動けないという部分があるわけだ。
つまり、手続き記憶に拠る「技能/手業」の振興は苦手。少なくとも痒い所に手が届く感じの施策を講じることはできない。アートやデザインについての振興もそうだし、あたたかみのある街をつくるなんていうのも苦手。
でも、役所は公金で動いていますから、みんなが納得できる「書類」で動くしかないし、お役人だろうが、首長さん、議員さん、あるいはコンサルタントだろうが、それが「公金」で行われるものである限り、その人の感性に任せるようなことはことはできない。手続き記憶に関することは言葉では説明できないんだけれど。
というわけで、あたたかい街に暮らしていたいなら、お役所任せにせず「私立」の街づくりをもっと盛んにしていく…それしかなさそうだ。
でもね。
「民」が手続き記憶(非陳述記憶)のことを大切にしながら、私立の街づくりを始めていけば、カラカラのスポンジが水を吸うように、あっという間にそうした「まちづくり手法」が広がり、まちにあたたかみが戻っていく可能性がある。
(たとえそのひとつひとつは小さくても…ね。否、小さい方がいいかもしれない)。
バンドのノリで街づくりが始められるかどうかだろうな。
まちづくりの場合、本格的にパンクな感じとかは歓迎されないかもしれないけれど、そのあたりをコントロールできればね。
意外に成果が上がるまでに時間はかからないかもよ。