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American popular music

ジョン・デンバーはカントリー・サイドを歌う。
ジェームス・テーラーも名盤とされる「Gorilla」の頃は
都市を歌っていたが、後年は、やっぱりカントリー・サイドを
歌うようになったように思う。
アルバム「Before This World」の頃になると、彼は森の歌い手だ。

でも彼らのカントリー・サイドには「水気」がある。
乾いてはいない。

砂漠な感じは
ライ・クーダーやニッティ・グリッティ・ダート・バンドなど
六角精児さんの「呑み鉄」で、よくフューチャーされているやつ。
本来は乾き切った北米大陸のロング・レイルロードにこそ
ふさわしいBGMなんだろう。
日本の車窓は、緑濃く、田畑も豊だけれど。

一方、ドゥービー・ブラザースには同じ「ロング」でも、ルート66みたいな、どこまでも続く「道」のイメージ。途中で遭難しような距離を走って、モーテルやダイナーがある、孤立的で、小さなまちに行き着く。都市ではないが生命感のある自然とは無縁な感じ。

カントリー・サイドではないな。

むしろ、故郷を後にして都市をめざし、その都市にも居場所を失って彷徨っている…というか。

20世紀的でもあるのかな。

さて。
都市、都会。

都会の歌はサイモン&ガーファンクルかな。

彼らはニューヨーカーだ。
それもトランプさんのようなボンボンのビジネスマンじゃなく
公立学校育ちの街場の子だ。
彼らが街歩きをし、橋を渡り、アメリカの詩情を歌う。
アメリカを探しにゆくといっても
決して「根無草」的ではない。

都会の子だから、もともと故郷のない「よそ者」なのかもしれないけれど。

都会の子は農地を持たない家の子だから、子どもの頃から
あちこち渡り歩いているからね。

(もちろん、両親やおじいちゃん、おばあちゃんだって「よそ者」だしね)

それにしても、こうした楽曲たちは
1960年代〜70年代の、つまり、僕が十代頃のものだ。

でも当時は、まだ中二病の延長線上にあって
好きでもないのに、コンテンポラリー・ジャズや
アンビエントなどを聴いていて
こうした音楽たちを、半ばバカにしていた。
つまり、ちゃんと聴いていなかった。

脳出血に倒れて、時間もできて改めて聞き直してみると
アメリカンなフォークソングやロックが等身大だし
思い込みに反して深いものだった。
スケッチもきれいだった。

僕さ どうしていいか わからないんだ
僕はキャシーにそう言った
彼女が眠っているのはわかっていたけど
空っぽなんだ わけもなく哀しくて仕方がない
ニュージャージー ターンパイクを通る自動車をずっと数えていた
みんなアメリカを探しにきたんだ
アメリカを探しにきたんだ

「America 」 Simon & Garfunkel

「アメリカ」は当時から名曲の誉高い楽曲だけど
ちゃんと聴いたのは50歳を過ぎてからだった。

どの楽曲もそうだ。データとして知っているだけだった。

しみじみ、後悔したな。

ライ・クーダーも、ジェームス・テーラーも
ドゥービー・ブラザースも、そう。

そして、脳出血に倒れた後の不快な後遺症の中
苦しいリハビリを支えてくれたのは、こうした楽曲たちだった。

考えてみたら、ヨコハマの進駐軍(占領軍)の住宅近くで
高校生までを過ごした僕に等身大なのは
やっぱり「アメリカ」の大衆音楽だったんだろう。

今は、眠れないとき、子守唄がわりに
サイモン&ガーファンクルやジェームス・テーラーなどを聴いている。