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東京クレオール

クレオールっていうのは、植民地で生まれたヨーロッパ人だったり、フランスでは逆に植民地の現地人でフランスの市民権を獲得した人のことをそういうこともある。いずれにせよ、その地に「生粋の人ではない」という意味だ。

うちの奥さんのご両親はともに宮城県ご出身だが、うちの奥さんが生まれ育ったのはヨコハマ郊外の住宅地。宮城県の人でもなければヨコハマの人でもないという、彼女はmなんだかクレオールな状態にある。

(ちなみに、うちの奥さんの味付けは関東以北な感じだけど、そのことも、ルイジアナのクレオール料理が古典的なヨーロッパ料理を下地にしていることに似ているような)

一方、うちのオヤジのところは東京の下町に長い家だけど、その家に生まれた僕は、生まれて間もなく小児結核の疑いがあって、オフクロの実家があるヨコハマ都心へ。オヤジの家系からみても貴重な跡取りだった僕は、夏休みなど長期の休みになると東京で過ごすということになり、結局、ヨコハマの人間にも、東京の人間にもなれず、どちらの土地にも「ふるさと感覚」は皆無。何となく「よそ者」「客」な感じで、つまり、僕もクレオールだと。

団塊の世代の民族大移動があって、彼らが大都市圏に集中し、そのままニューファミリーとなって、首都圏や京阪神の郊外に定住していったんだから、彼らの息子や娘たちはみんなクレオールだろうし、農家の次男、三男坊が大都市へ向かったのは戦前からの流れ。

たぶん、大都市にはたくさんのクレオールがいる。

団塊の世代の子どもたち。戦前から東京に暮らす親たち世代の子どもたち。たくさんのクレオールがいて、根がしっかり張っているわけではないので、クレオールが、おひとりさま、おふたりさまの供給源にもなっている。

孤独の泉だ。孤独が湧いて出てくる。

まさにデラシネであるクレオールたちが「おひとりさま」や「おふたりさま」で、これからどうやって歳を取っていくのか…

恐らくお役所の施策は間に合わない確率が高い。クレオールの問題については、クレオールな僕らで考えていくべき課題だ。

少なくとも手が差し伸べられるのを待っていない方がいい。

下手すると、医療な業界の儲けの種にと長生きはさせられるからね。
1960年代位まれの僕たちでさえ、平均寿命の推計、男性で110歳前後なんて推計もある。

故郷を持たないデラシネには長いよ。貯金も年金もあてにならないんだし。

市井に生きる僕らにできるのは、お金の準備より、本当は生活を助け合える仲間をメイキングしておくことなんだ。いっしょにバーベキューする「遊び仲間」じゃなくてね。

(もちろんバーベキューをきっかけにするのは良いけれど)