東京ローカル
ときどき 現在の感心に合わせて、本棚を再整理する。
寄り道して、難波功士さんの「人はなぜ<上京>するのか」(日経プレミアシリーズ:日本経済新聞出版社/2012年)を久々に手にした。
ぱらぱらとめくりながら、そうか…そうだよな。やっぱり高校までをどこで育ったのかっていうことは、個人にとって大きいよな。育まれちゃうよな、と。
そんなことを思った。
東京で生まれて育った人と、18歳になって東京に出てきて、それで頑張ってきた人、頑張ろうとしている人…
それぞれの「東京」があるんだろうな。
一方、同じ東京育ちでも
付属からの慶応や立教育ちは、ことさらに「上昇志向」なんて持たなくたって、生まれながらにステイタスもお金もあって、頑張って勉強して東大へ行こうなんて思わなくても済むのかもしれない。
で、そういう雰囲気を持って街に遊ぶ。
僕にとっては昼間の麻布十番なんかがそうだったな。
で。街の雰囲気が出来上がる。
自由が丘もそんな感じだった。ベテランのお嬢さんが、いい犬を連れて散歩する。珈琲がうまい。モンブランでモンブランを食べる(前者は店名)。
でも、再開発は一瞬にして街のイメージを「カオナシ」にする。そして大衆消費に街を開放していく。
新しい東京ができていく。でも「以前」を知らなきゃ、それが東京だ。
でも、そういう東京イメージをつくる、たいていの人が「上京者」な人だ。あんな都庁をデザインした丹下健三氏も、愛媛県の今治の出身だし、スカイツリーも設計は日建設計さんだが、デザインの監修は島根の六日町(現・吉賀町)出身の澄川喜一さんと、大阪市港区生まれの安藤忠雄さんだ。
彼らは東京ではない「故郷」で思春期までを過ごしてきた。
映画やテレビドラマに描かれるイメージとしての東京もそうだ。
だから、そこに描かれる「東京の日常」には、東京の日常に育った者には違和感があったりする。
でもね。
マスメディアから発信されるイメージや、東京という景観(空間)こそが、東京育ちではない多くの人たちにとっての東京だ。
そして、それに憧れる人が、上京者が創った東京イメージに集まってくる。墨東あたり、あるいは浅草は、東京といっても場末で、そして、浅草あたりから、かつて田舎と蔑まれた山の手は、どんどんピカピカになっていく。
東京市内でさえなかった「渋谷」が「THE東京」になっていく。
一方、バブルに向かって、下町の商店主の子弟なんかも、慶応、立教、青学あたりに進学して下町には帰って来なくなっちゃう。これもマスメディアから発信されるイメージの影響だ。谷中の墓地からの眺めにスカイツリーが割り込んできても、腹を立てる人などほとんどいない。「あ、スカイツリーが見える」と歓迎である。
東京に旧い家でも、そうだ。
あの頃、金の卵として上京した方を親に持つ二世、三世たち。もう帰ることができる故郷は無く、でも、東京キャリアが浅いので、どこかで「東京に伍していかなければ」という追い立てられているような気分もある。
で、彼らが頼りにするのも「マスメディアから発信される東京」だ。
「上京」なんて概念ごと「過去のもの」になりつつあるんだろうけれど、潜在的なところで「伍していかなければ東京に置いていかれる」という脅迫感みたいなものは、育った家庭に、案外染み付いていて「空気」のようなものになっていたりする。
でもね。仕方がない。右も左も分からね大都会で、都市に伍していこうとするのは人情。広告に人生ごと吸い取られてしまうような感じは避けたいところだが、それも仕方ないのかな。コミュニティが硬いところに育ってきて、だからこそ「作法」を探してしまう。
大都会こそデラシネばっかりなんだから気にする必要はないんだけれど。
真に、その土地の人になるには4〜5代はかかるという。
(思春期までをそれぞれの故郷で過ごし、その土地で価値観を形成し、その意識で子育てをする。だから、その意識が孫やひ孫の代までは伝えられていく。で、その呪縛を解くには「4〜5代かかる」と)
確かに、家の中は「故郷」だものね。
で、東京。
東京に「ローカル」ってあるのかな。
東京イメージをぶち上げた人も「よそ者」だし、旧い家の者も彼らになびいていく。上京者も「よそ者」がぶち上げたイメージに伍していこうとする。
昔でいえば「ギロッポン(六本木)」な感じに。
東京のイメージって、東京のイメージなんだろうか。
そもそも家康だって三河の人だしな。
「東京」 さて面妖な。