counter culture
「カウンター・カルチャー」について
DNPミュージアムが発行するwebマガジン「artscape」
そのアートワードのぺージには
1960年代のアメリカを中心に展開した若者を中心とする文化の総称であり、その言葉の背後には、既存の高級文化(ハイ・カルチャー)に対する抵抗という含意がある。その仮想敵である「ハイ・カルチャー」は旧来の保守的でブルジョア的な文化を指しており、カウンター・カルチャーはそのような旧態依然とした価値観を根本的に批判する新たな文化として登場した。
とある。
この中にあるハイ・カルチャーについては「既存の高級文化」って記すより「上流に憧れた上昇志向の強い街場の人たちの、その憧れを目で見える形にしたもの」と記した方がスケッチとしては正確で、その手本となったのが、欧州貴族などのエスタブリッシュな人々の生活文化だったと、僕はそう思っている。
つまり「ハイ・カルチャー」とはいっても、貴族たちの生活文化そのもののことを指すのではなく、あくまでも、それに憧れた街場のお金持ちの文化であって、真にエスタブリッシュな人々の文化ではない…と。
(エスタブリッシュな人たちが、自らの生活文化を「ハイ・カルチャー」とは言わないだろうし。それこそ下品だ)
だから、ハイ・カルチャーvsカウンター・カルチャーっていってもあくまでも街場の出来事。エスタブリッシュvs庶民っていう構図ではなかったと思っている。
そもそも、当時、カウンター・カルチャーと呼ばれたものは、理性的な理論や理由に則ったものでもなく、工業生産で富国しようとする政府が、子どもたちや若者たちを公的な学校教育で粒ぞろいの部品に仕立てようとしていくとき、彼ら、子どもたちや若者たちが、その風潮に争って、自分を顕在化させていった。そういう命の叫び…あくまでも衝動的なものだったんじゃないかな。
だから、そのうち、カウンター・カルチャーの担い手にさえ、何に逆らっているのか、誰に逆らっているのか、どうして逆らっているのかも判らず、だんだん粗暴になっていく…それが自然な流れだった。でもね。
「粗暴に」といっても、理性を完全に消し込むこともまた不可能で、人間としてはだんだん虚しくもなっていくもの。だから、三田誠広さんの小説「僕って何」ではないけれど、どうしていいか判らず「私」に閉じこもっていこうとする向きもあったのが、あの頃のカウンター・カルチャー。衝動的なレジストだったからね。
なんで抵抗してるんだかも判然とせず、一方「学校教育で粒ぞろいの部品に仕立てよう」には、有効な抵抗手段を講じることができず、ほとんど個性は残っていなかった大人になっちゃったという…バンバン(ユーミン)の「いちご白書」だね。
そんな感じ。
あの頃のカウンター・カルチャーしか知らない人たちは、これからどうしていくのかな。工業生産時代の申し子なのだから、何事も「コピーする」「前にならえ」な人々。ちょっと自閉的だったのも裏目にでちゃった感じ。
でも「コピーする能力」の値打ちはなくなっちゃう。AIには敵わないから。「博識」も検索エンジンには敵わない。
これからの団塊の世代、僕らの世代はどうしよう。
(60年代はじめの生まれの僕らは「カタログ世代」って言われた。やっぱり複写能力の高さと博識が自慢だね)
「複写」と「情報を仕入れて博識」は「なぜ」を考えない。工業生産時代の教育の賜物。「単語帳を暗記する」の延長線上にある。「質的」でもない。ややもすると「即物的」。
でもね。その場で生産された産直の情報だけがカッコよくなる。
もちろん、一定以上の人に受けなきゃダメだけど、あくまで「一定以上」でいい。万人ウケを狙う必要はない。
僕らはこういう状況に慣れてない。おどおどしてしまう。
「みんな」じゃないと。
でも「みんな」を探しても、さらなる息苦しさに耐えて「みんな」に参加するカオナシたちをみつけることができるだけだ。
さぁ。どうしよう。
自分というカルチャーの「カウンター」に向かってみたらどうだろう。
1960年代生まれには心細いけど。
しばらく行くと。少なくとも呼吸はしやすくなると思うけれど。