角川映画
若い世代の方は、あの頃の「角川映画」の勢い…たぶん想像がつかないと思う。「セーラー服と機関銃」=薬師丸ひろ子さん(1981年)。「蒲田行進曲」=風間杜夫さん、平田満さん(1982年)… あの頃の大衆文化は「角川映画」以外の部分は全部、空白だったといっても過言ではないくらい。
とにかく、ものすごい情報量がマスメディアを席巻した。
テレビCMをバンバン流し、雑誌にパブリシティを展開し、原作本を本屋さんの店頭に平積みにしてメディア・ミックスな発信。すでに1977年には映画「人間の証明」で、ジョー山中さん歌唱のテーマ曲をオリコン第2位の大ヒット曲に押し上げていた。「読んでから見るか、見てから読むか」も、この「人間の証明」という映画の広告惹句だ。
「角川映画」というと「専門家には酷評されたが興行収益では大ヒット」のイメージがあるけれど、中川右介さんの著作「角川映画 1976−1986」(2016年 KADOKAWA 文庫版)には、「角川映画」とともに著名になられた映画プロデューサー(映画監督)角川春樹さんは、あらかじめB級映画としての成功を目指しておられたとある。
確かに、ここでいわれる「大衆」は、映画の専門家ではないから、専門的、芸術的な評価には無知だ。それゆえ、当代の興行成績としての大ヒット作は、ある意味、専門的には陳腐な作品で当然。そういう作品には、たいてい「レアな濡れ場」があり、そういう意味では篠山紀信さんが、宮沢りえさんを撮影した写真集「Santa Fe」(1991年)と似たようなもので、やはり大衆に評価される映画は欲望に素直で「わかりやすい」がスタンダード。角川映画も、今、観ると「あらあら」という作品が多い…でも、それは当時の「マスとしての受け手」が幼かったということに拠るのだろうと思う。
でも、薬師丸ひろ子さんや松田優作さん、渡辺謙さんなどを世に送り出し、横溝正史氏、赤川次郎氏、片岡義男氏などをメジャーにし、助監督経験のない森田芳光監督や、イラストレーターの和田誠さんに映画監督の道を開き、ユーミンを今日あるユーミンというステイタスをつくったのも「角川映画」。
そして、角川映画には「麻雀放浪記」(1984年)、「彼のオートバイ、彼女の島」(1986年)、「幕末純情伝」(1991年)などは、B級なのかもしれないけれど、作品として評価の高いものもある。
角川映画は、現在は機材の軽便かやデジタル化で可能になった「小ユニットで作品性のみを狙う」ができなかった、ミニシアターもなかった、どうしても「マスなエンタメ消費」に乗せるしかなかった時代の「作品」を創る方便だったのかもしれないとも思っている。
建前の作品性などを持ち出さず、B級に徹する。それだけでなく、自らは撮影所を持たず、ヘッドクォーターに徹するなど、まるでアップルのような制作スタイルも先駆的だったとも。
少なくとも「村」化しつつあった映画界には、風穴を開けた。
僕は「功罪相半ば」というより
「功」の方に業績があったかなと。