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「なんでもう分かっていることを、またみんなでやらなきゃいけないの?」息子の不登校理由と、親としての捉え方

こんにちは、不登校を選んだ小学生の息子とともにホームスクーリングのかたちを模索している親父の、ちぇるしと申します。

世の中に発信されている情報に私自身とても助けられた思いがあり、自分自身の体験や得た知識をまた世の中に還元できればと思い、筆を執っています。

あとは、どちらかというと母親の方の発信や母親向け(読み手が母親であることを前提とした)書籍などが多い中で、父親である私の立場ならではで語れることがあるのかもしれないとも思っていたりします。

今回は、そもそも息子が不登校に至った背景についてです。

息子が「学校に行きたくない」と言い始めた理由

ホームスクーリングを実践されているご家庭の中には、元々入学前からホームスクーリングを決意し選択されているご家庭もありますが、わたしたちの場合は、そんなことは全く考えていませんでした。

4月の入学式を迎えるまで、息子は小学生になることにワクワクドキドキしており、「もう小学生だから」といろいろなことに意気込んでいましたし、両親としても「普通に通って、普通に過ごすんだろうな」くらいの感覚で送り出していました。

ただ、入学から数週間経った、ゴールデンウィーク明けあたりから「今日は小学校に行きたくない」と言い始めたのを覚えています。

両親ともに正直驚きを隠せず、正直にいうと他人事と思っていた不登校が「我が息子が?!」という感覚で、動揺しつつも、当時はなんとかモチベーションをもたせ、学校に行かせる方向性で努力をしていました。

と同時に、「こういうとき、無理やり首根っこを掴んで連れて行くようなことをしてはいけない」ということは、なんとなく日々の子育て情報収集の中で触れていたので、丁寧に対話をしながら、というスタンスではありました。

聞いた理由が、お友だちとのトラブル(いじめなど)でも、勉強についていけない(難しい)ということでもなく、

「なぜもう自分が知っていることを、みんなで揃ってやらないといけないのか理解できない」
「なぜクラスの別の子が悪いことをしたときに、みんなの前で怒られなきゃいけないのか理解できない(みんなが怒られるのを聞く理由がわからない)」

ということでした。大人が聞いても、思わず「そうだよね・・・」と納得してしまう理由です。そんな感覚がある学校に対して、「つまらない」と感じてしまっているとのことでした。

冷静に、今の学校制度について勉強してみた

はじめのうちは学校に行くことを説得しつつ、本人がどうにか行ったり、日によっては行かなかったり、という日々でしたが、段々と「毎朝のこの格闘をしてまで、行きたくないと言っている子どもを行かせるべき理由が今の学校にあるのだろうか?」という疑問を持ち始めました。

前提として、すべての場合において学校の意義が全くないという強い主張をしたいわけではなく「行きたくないという主張をねじ伏せてまで行かせる」というスタンスが正しいのか?という疑問を持った、というニュアンスです。

そんな中で、自分自身の経験や感覚だけでなく、ちゃんとした知識をベースにしてスタンスを固めるべきだと思い、色々な書籍や情報ソースにあたるようになりました。

その中で、文部科学省が「不登校を問題行動としては判断してはならない」「「学校復帰のみ」に捉われることなく、社会的自立を目指す」といった通知が行われていることをしり、国家としても学びの場を学校に限定していないというスタンスが見えました。

2016年9月14日、文科省は「不登校を問題行動と判断してはならない」との見解を含む通知を出した。通知は、すべての小・中・高校で、その趣旨が周知されるよう教育委員会などに配布された(文書番号「28文科初第770号」)。通知は、昨年より開かれてきた「不登校協力者会議」の最終報告を受けてのもの。

 通知によれば、不登校の期間は休養や自分を見つめ直すなど「積極的な意味を持つことがある」としたうえで、不登校の子への支援は、学校を休む子どもが悪いという「根強い偏見を払しょくすることが重要」だとの見解を示した。また、「学校・家庭・社会が不登校児童生徒に寄り添い共感的理解と受容の姿勢を持つことが重要」とも指摘し、不登校支援の目的は「学校復帰のみ」に捉われることなく、社会的自立を目指すよう求めた。

不登校新聞 446号 より

また書籍の中では、別途で書評noteも書いた孫泰蔵さん著書の「冒険の書」が、とても勉強になり、また勇気づけられました。

学校という施設・機関の歴史をわかりやすく紐解いて解説されているのですが、かつての産業革命時代における「安定した労働力の供給」が学校に求められていた時代の構造が今も変わらず残っている、といったような、様々な時代の要請の積み重ねの上にある今の学校のスタイルと、VUCAとも言われ、AIとの共存に注目が集まる現代社会の構造には、明確なミスマッチが生まれていることも腹に落ちました。

息子の感性を尊重し、社会を生き抜くために必要な本当の学びを、親として提供しようと決意した

「学校がつまらなく感じるのは、構造的な側面の問題が大きい」と感じましたし「それに気がつき、違和感を感じた息子の感性を尊重しよう」と、スッと整理ができました。

そこからは、学校との連携や、自身でのホームスクーリングの方法論の研究や、学校教科にとらわれない「子どもに提供するべき学習の機会やトピック」について検討したり、個別の教材のリサーチなど、ある意味正解の分からない「子どもにとって価値のある学び」について考える日々がスタートしています。

おわりに

以上、我が家の場合の不登校理由と、それに対する私自身の捉え方のお話でした。

もし共感いただけたり、周囲で同じ課題を抱えていそうな方がいれば、シェアをしていただけると嬉しいです。


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