intensityというマジックワード
前回の更新から、大分間が空いてしまった。今月の頭には日本全国の中学生チームのナンバーワンを決める大会である、KEIOジュニアウィンターカップに参戦することもあって、スカウティングやチームビルディングや、不足しているスキルワークアウトやで忙しくなってしまっていた。。
その練習の中でも、Intensity(インテンシティ)というワードが絶えず飛び交っていた。
近年バスケの現場でもよく耳にするこのIntensityとは一体なんなのだろうか。
辞書で調べると次のような和訳がされている。
英検2級以上相当、高3、難関大対策レベルとそれなりに難しい英単語なようだ。
バスケットボールは本来、身体接触はファウルとされるルールであるはずなのだが、実際には肉弾戦であり、身体同士をぶつけ合うシーンがよく見られる。
近年では、ようやくシリンダーの概念やハンドチェックの厳格化が浸透してきているため、押し相撲のようなピボットへのディフェンスや手のひらでオフェンスを押さえることはできなくなった。
その反面、トルソー(身体の胴体)を正対させて、オフェンスが進行したいコースに簡単に入れさせないようなボディアップと呼ばれるディフェンススキルについては、国際大会で露呈されたフィジカル不足という側面もあり、笛は甘くなってきているように感じられる。
そこで選手達は身体同士のフィジカルコンタクトを嫌がらずに好んで当てていかないと、高いレベルで活躍することが難しくなっている。
小・中学年代は素直であり、一生懸命プレーをしようと呼びかけると、本当に一生懸命にプレーをしてくれる。ラインギリギリのボールを懸命に追いかけるし、抜かれても抜かれてもがむしゃらにオフェンスを追いかけるし、真っ直ぐにペイントに突っ込んでいく。
Intensityは高くなる。
そう、Intensityは高くなるのだ。
もっとバスケが上手くなりたい、あいつよりも強くなりたい、メンバーに選ばれたい、選抜になりたい、強豪校に行きたい、プロになりたい、日本代表になりたい。
そんな情熱を持っている選手達でIntensityがないこと自体おかしい。
もし足りないのなら、ぼくは選手の問題であると考える。
Intensityはコーチから与えられるものではなく、心の底から湧き上がる感情から自然に発生する行動に付随するものだと考えるからである。
なのになぜ、Intensityと言われるのだろうか。
Intensityだけを追求すれば、間違いなく自然発生するものなのに。
そこにコーチのスパイスが必要になる瞬間が訪れるのだと思う。
バスケットボールは相手がいるスポーツである以上、相手の行動をよく見る必要がある。いつでも自分の好きなプレーができるとは限らず、相手はそれ(自分のしたいプレー)を邪魔しようとしてくるためだ。
強度を高く、激烈なドライブをしたとしても、見え透いた真っ直ぐのドライブであれば、相手はそれを守るのは簡単である。Intensityだけでは、相手をねじ伏せることはなかなか難しい。簡単に言えば、拳と拳のぶつかり合いだ。その拳が大きい方が勝つ。
それを補うために、テクニックがある。右に行くだけでなく、左と見せかける。ペイントに突っ込むだけでなく、外からプルアップを狙う。
まず、このテクニックが、そのIntensityの状況下で再現できるものなのか、ということが第1の課題だ。
普段の練習から激烈なプルアップジャンパーを打ったとしよう。猛烈なロールも、強度の高いディフェンスフットワークも一生懸命やったとしよう。
それでも、足りない。猛烈なロールをやるとわかっていたら、ディフェンスはそれを2人で止めにくる。それをどうするかが第2の課題だ。
大事なのは判断だ。
Intensityの高い環境下で適切な判断を下す必要がある。
テクニックがあっても、判断は身につかない。
インテンシティがあっても、判断は身につかない。
大事なことは、そのテクニックをそのIntensityの環境で発揮できるのか。
つまり、そのテクニックを繰り出す時の自分のスピードや振り幅、切れ味がフルスピードに近い状態でも安定したボディコントロールで行えるのかということである。
大事なことはいつもは出来る判断をそのIntensityの環境で発揮できるのか。
つまり、その判断するまでの時間が短くても、空間を相手が詰めてくることによって窮屈だと感じさせようとしても、パスコースやシュートコースを一つ潰されたとしても、適切な判断を下し続けられるということである。
Intensityは上手くなるための必須要素であり、調味料だ。
食材じゃない。
Intensityがなければ上手くならないが、
Intensityがあれば上手くなるわけじゃない。
Intensityだけが大事なのではなく、
Intensityも大事なのだ。
今日の練習はよかったな、と指導者が感じやすいのは大抵、
選手達が大きな声を出して、直向きにがむしゃらにボールを追いかけて、
”見ていて清々しい”練習をした時だ。
僕も正直、良い練習だとは思う。
でも、もっと良い練習があるはずであり、練習の目的はなんなのかということを忘れないようにしている。
Intensityというマジックワードにダマされないように。
いつもそう考えている。
Intensityが高い環境を練習で設定し、その中でも発揮できるようにテクニックをスキルへと昇華する。
それがコーチの役割だと信じている。