パオン
2019年、うつ病と診断されて4ヶ月休職したときの日々の記録です。
死オブ死、と思いながら生きている。 呪文というか、自分を落ち着かせるスイッチワードみたいなもの。 別に本当に死にたいわけでなければ、死に真面目に向き合っているわけでもない。 ただ、「死」という言葉を前にすると、ちょっとした日々の鬱憤は少しだけ薄れるように思うだけだ。
好きなことは?と聞かれたら「眠ることと食べること」と躊躇なく答えていた。家の中のどんな場所より(特に明日はお休み!という日の)お布団の中が好きだったし、眠る前の夜長のお酒を交えたほとんど居酒屋状態の食卓も、友人たちとちょっといい料理を囲む他愛ない時間も大好きだった。
家のクローゼットに、過去の日記帳だけがごっそり入ったダンボールがひとつ、ひっそりと置かれている。主に小学校から高校、大学の一部にかけて書かれたものだ。何度引っ越しを繰り返しても、年末の大掃除を繰り返しても捨て切れなかった日記帳が、読み返されるわけでもなく、ダンボールの中にある。
"特筆すべきは、テレビコマーシャルは映像が大切だと思われがちだが、その基礎にあるのは「言葉」であり、「コピー」だということである。気がつきにくいことだが、映像、すなわち英語でいうところの「イメージ」は、最終的な形にしない限り他人と共有することができない。絵コンテを描いたとしても、あくまで設計図でしかない。「こんなイメージで」と人と話し合う場合も、具体的な「こんな」の部分は言葉によって伝達される。
このつぶやきはマガジンを購入した人だけが読めます
休日、午前の予定と夜の予定の間を埋めるひとり時間がすきだ。制限時間があってちょっと不自由なんだけどたっぷり時間があって自由な感じ。この6時間を何しようと考えるのは小旅行の予定を組むワクワクに似ている。
30歳を迎えた。人生の夏休み真っ只中に、30歳になった。
2週間ぶりに病院へ行った。当初の診断書で「休職3ヶ月」を言い渡され、戸惑いながらも自分なりに休んだ2ヶ月がすぎた。主治医に「あと1ヶ月なんですが、どんなもんでしょうか?」と聞いてみた。
正直言って、マリッジブルーだった。それで、休職期間であるのをいいことに、1週間の帰省予定を、実家に帰ってから2週間の滞在に延ばした。
青森県八戸市生まれなのだが、高校卒業と同時に仙台に進学しているので、そういう場合思いのほか、地元の「飲み屋」を知らないものだ。ゲームセンターとカラオケとCD屋くらいしか行っていない歳でまちを出たのだから、当然といえば当然だ。
毎年お盆恒例の親戚BBQをした。80を越えてもまだまだ元気な祖父母と、普段東京に住まう従兄弟たちが集まる。
苦手なのだ。大きな声で、ワーワーと話す人たちの中にいるのが。
今日は朝4:30に起きて、「館鼻岸壁(たてはながんぺき)朝市」へ妹と行って来た。店舗の並ぶ長さが日本一とも言われている、とにかく巨大な朝市だ。毎週日曜、日の出とともに始まる。この、開始時間の案内もなく「日の出とともに始まる」ってのがまたいい。
幼い頃、4歳くらいまでは昼間、人口3万人の小さな隣町の祖母に預けられて育った。祖母は多趣味で顔の広い人で、幼い私を陶芸教室や友人とのお茶に連れて行ってくれた。
今年の立秋は8月8日だそうだ。
青森県出身なのだが、この歳ではじめて「ねぶた」を見た (地域が違うと案外見に行かない)。圧巻だった。あの勢い。大太鼓がお腹に響く感覚、高揚を呼ぶ掛け声と跳人、奏でるというよりは全力で呼吸しているような笛が通りすぎる風圧、巨大すぎる山車(と呼ぶのか..?)とそれを支える筋肉隆々の男たち。