
僕が娘とずっと遊んでる理由のようなもの
うちの娘は今年から年長さん
来年はもうランドセルで小学校に行くと思うと僕の白髪の増え方くらい早い
大切な一人娘なんだけど、正確にはお兄ちゃんがいた、娘が生まれる4年以上前のこと
もう結構大きくなった状態での死産だった
娘の時は生まれた瞬間はどっちとも言えない顔をしていたけれど、お兄ちゃんのほうは確実に僕に似ていた
死産となると、死亡届も出すし、火葬もする
初めての事のため、あれしなきゃこれしなきゃが多く、感情が迷子になっていたが、火葬する直前になって涙があふれた
嫁は重い鬱を持っている
それでもその時は気丈な姿で名残惜しそうに、お兄ちゃんをなでながら、
「君に似てるね」
なんて笑ってた
小さな小さなお骨を入れる箱に入ってお兄ちゃんは帰ってきた
1か月以上立ち直れなかった
嫁はもちろんそれ以上だ、はかりしれなかっただろう
僕は子どもができたと聞いた時、その時はまだ正直、へー、そっかー、よかったねー
くらいの気持ちだった
本当は女の子が欲しかったのだけど、男の子だとわかった時は、男の子かー、まあでも麻雀教えられるな、二人で雀荘とか行けるかもなんてお気楽に考えていた
全国のお父さんがたはおそらく、初めての子どもの場合、父親になる自覚が母親よりだいぶ遅い
僕もご多分に漏れず、遅かった
死産の原因は、おそらく、母親に菌が入ったためであるとのことだった
お風呂やトイレなどである
もちろん掃除はしていたけど、足りなかったのだろう
そう、父親としての自覚が足りなかったのだ
わかりやすい階段の補佐や、重い荷物などを持つなどは知識がなくても、誰でもやるだろう、しかし、いろいろなリスクをとことん調べるというのは、案外しないもの
少なくとも僕は出来ていなかった
年齢的にも諦めかけてきた頃、二人目を授かった
それが、にゃにゃである
本当の名前をうまく言えなくて、自分のことをにゃにゃと言っていた2歳の頃のニックネームである
高齢出産となり、生まれてくるまで心配な毎日だった
今回はいろいろ気をつけた、できることは全てやった
臨月を迎え、帝王切開になったとは言え、無事に生まれてくれた
そんなつかの間の事だった
出産後、娘が3か月を迎えた頃、嫁は周産期心筋症という二万出産に一人の確率の難病にかかった
入院中にその病気の関係でさらに脳梗塞を起こし、左半身が麻痺してしまった
左半身付随ではない
CTを取ると、左脳が真っ白なのだ、細胞が死んでいると白くなると説明された
一言もしゃべれず目線も合っていない
その夜、僕は寝ている娘の横で悲しくて悲しくて、現実を受け止められずに一晩中泣き続けた
車椅子を覚悟していたが、なんとかそれは免れて、半身麻痺と記憶力が少し衰えた以外は薬さえ飲めば普通に生活できるようになった、医者には奇跡だと言われた
不遇な話はそれ以上に多く、書くことのできない話もあるので、それはもう置いときます
どうしてこれを書き始めたかと言うと、最初に戻って、娘は来年小学生になるのだ
最近、自分で撮った写真ではなく、幼稚園のほうで撮ってもらった写真なんかを見返した
イベントに僕と娘が写っている
父の日イベントだ
他の写真の中の娘はどれも可愛く、そして幼い
そう、幼いのです
いつも自分で撮った写真はよく見ていて、ある意味飽きているのだけど、人が撮った写真というのは新鮮で、また違った角度で見えてくる
この時の娘のわがままにはもう会えないんだなーとか、この時の赤ちゃんみたいな可愛さはもうないなーとか、いろいろ考えたりする
そんな時いつも思うのは、一緒にどこかでかけたり、手を繋いだり、トイレ連れてったり、抱っこしたりって今は大変なことも多いけど、必ず将来、もっとやっておけば良かった
って思う日が来ると思ってる
やっとの仕事の休みの日に、自転車の練習したい、パーパー行こう!
暑い日に公園で長い時間いるのは本当にきつくて、正直勘弁してくれって思う日は何度もある
だけど、裏表ない笑顔を向けられた時、すごく嬉しくて、来て良かったなって毎回思う
UFOキャッチャーで何千円も使って取ったおもちゃが放り投げられて壊されて片隅にあるのを見ると腹立つこともある
だけど、それを手に入れた瞬間の笑顔は嘘じゃないんだよね、子どもはそういうとこの正直さはある
6月の平日に幼稚園最後の父の日イベントがある
僕は休みではない
本来スケジュール的には行けないし、転職したばかりで、言い出しにくい
でも思う
働いてるのはお金のため
お金は生活のため
しいては家族のため
それなら父親のイベントにはなんとかして行こう
コロナでイベントが少なくなってるから、貴重な時間
別に子どものためだけじゃない、それは僕自身が後悔しないように
娘は来年、幼児から児童になる