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note始めたので、プロフィール書きました

はじめまして、都内でWebエンジニアをしている おだ といいます。2020年は色々と思うところもあり、節目の年ということで柄にもなく「note」始めてしまいました。

僕自身はかなり長くWeb業界にいるものの、SNSというものに手を出した事がない、超保守的なアナログ人間(プライベートでは)なので、このnoteを始めた事、さらには実名でっていうところも自分の振れ幅が広すぎて自分で驚いています。

プロフィールを見ていただいて、どんな人間が書いた記事なのか、どーいった背景で書いてるのかなど知ってもらい、Web界隈に関わる方をサポート出来るような記事を書いていけたらと思っています。

僕の簡単なプロフィール

Webデザイナー5年→Webエンジニアに転向して8年目突入で現在32歳です(2020年1月1日現在)

デザイナーとエンジニアの兼業期間が2年程あったかなと思います。今は東京都内でフリーランスエンジニアで活動しており、フリー暦は5年程です。サービス・プロダクト志向のエンジニアで、完全にジェネラリストに振り切ってるキャリアになっています。

プライベートは暇さえあれば料理ばかりしています。男が好きそーな、単純で濃い味付けの料理ばかり作るので、知識が偏ってきています。スーパーとデパ地下とカルディに行くと幸せを感じるので、よく出没します。dancyuという料理雑誌の信者です。

お酒も大好きで、ウイスキーと日本酒とジンにはお金を注ぎ込んでいます笑

キャリアスタートからこれまでの経緯

◉ 就職活動編
高校卒業後フリーターになっているので、最終学歴は高卒です。周囲には大学に進学した友達が多く、20歳ぐらいの頃には大学に進学している周りの友達がキャンパスライフ謳歌から一転、就活の事などを話し出していて、僕の置いてけぼり感がやべぇな・・・と焦りだします(遅いよ・・)

その当時、テレビでIT系の社長がモテはやされたり逮捕されたりで、なんかIT=金が儲かるって印象を完全にテレビに植え付けられてた僕は、僕みたいな奴でもITなら仕事貰えるかもしれん!ってお花畑全快で本屋でHTMLとCSSの本を一冊買って、実家に籠もって1ヶ月間ぐらい独学で勉強してた気がします。

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この世界に入るキッカケになった本が押入れから出てきた
初版が2007年で、IE7に完全対応の見出しが時代を感じる遺物

一通り学習後、ポートフォリオなんて言葉をもっと後で知る僕は、実績にもならない実績である「趣味でやっていました」推しの1本攻めを引っさげて、実務経験無し高卒で書類を送りますが、まったく相手にされません(当たり前・・)

そして、たまたま応募が出ていた教材系の事業会社の書類選考に通り、面接で営業責任者が出てきて、サイトがカラー印刷されたペラで一枚のA4用紙をテーブルに並べます。

営業責任者:「これ作れる?」
僕:「作れます!!!(作れないけど)頑張ります!!!」
営業責任者:「じゃ、よろしく頼むわ!!!

フィーリング採用(中小らしいエピソード・・・)

社内の制作は紙媒体の広告が中心で、社内にWeb部門立ち上げたいという意向だったのと、その営業責任者いわく、システム屋が何言ってるのかチンプンカンプンで代わりにやりとりして欲しい、宇宙人みたいでうざい、困ってるって事で、二つの運の良い偶然が重なって、そこから四苦八苦させながらキャリアをスタートさせました。

最年少で営業としては扱いやすそうだし、僕が働きたい頑張りますの前のめりだったからやる気重視の採用だったんだと思う。後々制作の責任者に聞くと、俺だったら落としてたと言われた

◉ Webデザイナー編
入社当時は基礎的なHTMLタグとCSSだけが使える状態で、段組がめっちゃ苦労して出来るぐらいのレベルでした。入社してすぐWebサイトを作るってなって、制作フローとしてはまず有り得ない話なんですが、一番最初に僕がHTMLコーディングを始めるっていうフローから着手して笑

営業が僕のPCに映った画面を見ながら「サイトってこーいう風に出来ていくんやなぁ!」とか感慨深く言っていて、僕が「はい、期待しててください」みたいな、営業がすげーコイツみたいな顔してて。今思えば1人でも詳しい人がいれば「そんなわけねぇだろ!」と素人モロバレの総ツッコミをくらうんでしょうが、誰も詳しい人間がいない、Web部門の1人目なことを良い事にハッタリかまして(というか本当にそう作るものだと思っていた)乗り切ろうとしていました。

そして案の定、自分で提示したスケジュールには間に合わず、制作部門の責任者から僕に大きなカミナリが落ち、泣く泣く年上のDTPの先輩がPhotoshopとIllustratorを使ってヘルプに入って助けてくれて、僕にもそのソフトの使い方を教えてくれて、デザインの勉強になるよとキホンのキのような本も教えてくれて、勉強しながらようやく本当の意味でスタートラインに立つ事になります。正常に仕事が回せるようになったのは、入社してから半年ぐらいからだったでしょうか。これが僕の一つ目のキャリアのWebデザイナーのスタートです。それからはLPとかバナーとか、広告入稿とか、ガラケーサイトなどを作成していきます。丁度ドワンゴが着メロ事業で絶好調だった時期です。ガラケーサイトをマーキータグと絵文字いっぱいに作ってた時期が懐かしい良い思い出です。

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先輩にオススメしてもらったデザイン本も押入れから出てきた
今見返しても、内容が普遍的なので現役で使える良書

◉ Webエンジニア編
ある時、システム会社が管理してるサイトにタグかなんかを埋め込む必要があって、システム会社にお願いしてFTP情報を共有してもらいました。接続すると、見た事ない拡張子のファイルがいっぱいあって、落としてファイルの中身を見てみると、全部に<?php ?>みたいなタグが埋め込んであって、なんじゃこりゃ??みたいな。

日付がHTMLタグ内に書かれてないのに、該当の箇所に日付が表示されてるぞ???みたいな。テスト環境も共有されてたので、既存の置いてあったファイルをコピーして、書き換えてみたりして。頼まれてたサンクスページか何かにタグを仕込むって本来の依頼はそっちのけで。翌日になると、日付も翌日に勝手に変わってて、プログラミングすげーーーって感動したのを覚えています(アホ)

これが二つ目のキャリアのWebエンジニアのスタート要因だったと思います。この時が23歳ぐらいの頃でした。それからはどんどん会社が求めるウエイトもWebデザイナー領域からエンジニア領域にシフトしていて、僕に求められる役割も必然とそうなり、僕がシステム会社との窓口になって様々な外部サービスやらなんやらとの繋ぎこみや折衝を行っていくようになりました。25歳頃には、既に兼業は終わり僕は完全にWebエンジニアになっていました。

結局、Webデザイナーになる時も、エンジニアに転向した際も全て独学で切り抜けました。営業ばかりの会社で営業が圧倒的強者且つ売上至上主義だったので、技術なんか知らねぇよお客さんが喜んで、俺らがもっと売りまくれるもん作れってスタンスが根深く残ってる気がします。

僕がまったくの素人だった最初の頃、利益貢献もしていないどころか迷惑をかけていたのに、ずっと給与が出ていたのは営業のおかげで、また僕のキャリアスタートのきっかけを作ってくれたのも営業の方なので、今でも営業職というものには感謝の念が強いです。当時の僕が今僕の前に現れたら、100%間違いなく落とすし、送ってきた書類を今見ても、からかってるのか?って思ってしまう。本当に運が良かった。

それから一貫してWebの業界で手を動かし続けてきて、今はWebアプリケーションとインフラのバックエンド領域が主戦場になっており、たまーに案件によってはフロントに入るという通常とは少し変わったキャリアになっています。

noteに綴っていきたいこと

Web開発における全般を書く予定ですが、技術系の記事はQiitaなど数多あるのでそちらに任せるとして、暗黙知になりがちな「ノウハウ」だったり「思想」だったりを書いていく予定です。

※あくまで僕個人の見解であり、クライアントや、過去所属していた組織とは一切関係ありません。

最後に

記事書いていてツッコミどころ満載だし、今は企業もIT界隈では学歴よりも、経歴・スキルセット・カルチャーフィット・思想を重視する傾向になりつつあるので、僕なんかは本当に運が良かったなぁって改めて思いました。こーいう背景・キャリアで記事を書いていくので、似たようなキャリアで悩んでいるどなたかの参考になれば幸いです。よろしくおねがいします!