ゲーム映像の進歩はポケモンをどう変えたか【ポケモンSV/アルセウス/Newポケスナ】
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まえがき - ポケモンSVまでの布石
2022年11月発売の『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット(以下SV)』はポケモンのゲームシリーズにとって画期的な作品だった。ほぼ完全なオープンワールドであり、人とポケモンの世界が高い解像度で描かれている。
とはいえ今作は何の前触れもなく革命を起こしたわけではなく、それ以前に布石のような作品がいくつもあった。2022年1月発売の『ポケモンレジェンズアルセウス(以下アルセウス)』や2021年発売の『Newポケモンスナップ(以下Newポケスナ)』、さらには『ポッ拳』『ソード・シールド』などがその例である。
実際のところ各タイトルの制作スタッフがどの程度連携していたのかは分からないが、ポケモンSVを語るうえで他の作品との関係を見ないわけにはいかないだろう。
この文章では、Newポケスナ、アルセウス、SVを軸とし、人とポケモンの関係が各タイトルでどう描かれてきたか、ゲームデザインに演出意図がどう反映されているか、そして映像技術の進歩がどのように表現の幅を広げたかについて考える。
ポケモンたちの世界
Newポケスナの描いた世界は美しかった。ポケモンを「捕まえる」「戦わせる」という要素を排除し、野生のポケモンの自然界での振舞いを描くことに特化した分、その表現の豊かさは最新作であるSVを上回る。ポケモン同士の交流や縄張り争いも細かく描かれていた。
Newポケスナは人であるプレイヤーが野生のポケモンを撮影するゲームだが、より本質的には「ポケモンたちの世界を覗きに行く」ゲームであり、そのことはゲームデザインからも読み取れる。
本作ではプレイヤーの移動はすべて自動で行われ、ムービー以外では主観視点で進行する。ポケモンが主役であり撮影者はプレイヤー自身だから画面に映る必要はないのだ。
技術的には、移動ルートが固定されていることで見る範囲が限定されているので、より美しく細かい表現が実現しているとも言える。
ポケモンを撮影するゲームと言ったが、その目的はポケモンの生態を知ることである。撮影した写真は多数の項目で評価され、また写真は一枚撮ったら終わりではなく、同じポケモンについて様々な状態を撮る必要もある。
ポケスナにおいて人とポケモンの関わり方は、あくまで外から観察する姿勢であり、介入は最小限に留められる。N64で発売された初代ポケスナにおいては「カメラで撮影するゲーム」というジャンル自体が珍しかったので、ゲームとして成立したのだろう。
しかしゲーム内で撮影できることが当たり前になっている現在において「撮影するだけ」のゲームの、しかもその続編が成立したのは、ゲームデザインの工夫もあるが、やはり映像表現の進歩に支えられているところが大きい。
自然の脅威 - 人がポケモンを受け入れるまで
Newポケスナが外部からポケモンの生態系を観察した一方、ポケモンアルセウスは人とポケモンの関係を深く掘り下げた。ポケモンが自然の脅威、もっと言えば危険な外敵であり、実際に人を襲っている世界で、平和な世界からやってきた主人公が人とポケモンの関係を変えていくストーリー。
本作は人であるプレイヤーを操作するアクションゲームという色が濃く、それがポケモンに襲われるという体験を実際の恐怖としてプレイヤーに刻み付けることにつながった。
未知の存在であるポケモンを調査するというコンセプトはNewポケスナと共通している。ゲームのクリア条件は「すべてのポケモンと出会う」ことだし、またポケモンをただ捕まえて終わりではなく、多数の評価項目がある。
従来のシステムなら苦行になりかねない内容だが、本作はアクションゲームであり従来の作品に比べてテンポよく進められるため成立している。
アルセウスは人がポケモンを受け入れる過程を描くゲームでもある。つまり人が中心であり、そのことはゲーム画面からも読み取れる。
本作ではフィールドからポケモンバトルへとシームレスに移行し、バトル中もプレイヤーが画面の中心にいて、さらには自由に移動できる。あまりにも滑らかに移行するためか、バトル中であることを示すために上下に黒帯がつく。またポケモンの技選択のUIがプレイヤーを避けるように斜めになっていたりする。
「逃げる」コマンドを使わなくてもプレイヤーがその場から離れるだけで戦闘離脱できる点は斬新である。自分のポケモンをひっこめた際には相手のポケモンがプレイヤーのほうに向きなおり、プレイヤーも蚊帳の外ではないことを思い知らされる。
このように本作ではポケモンが恐ろしい存在として描かれる一方、人々がポケモンの理解を深めるにつれて恐怖が薄れていく過程も描かれ、ポケモン側からの歩み寄りもあり、互いに積極的に関わるようになっていく。
人間社会に同化する
シビアな世界を描いたアルセウスに対し、ポケモンSVの世界は基本的に安全であり、ポケモントレーナーは学校で学び、課外授業という名目の旅に各自でかけていく。子供にとって学校とは不自由な場所であり、そこから出ていくこととオープンワールドの自由を重ねているのかもしれない。
この課外授業は伝統的に行われており、子供が一人旅できるほどに安全な世界であることがうかがえる。町の外には野生のポケモンも暮らしているがアルセウスで描かれたほど敵対的ではない。
SVでは最初から人とポケモンが同じ社会の中で暮らしている。人であるプレイヤーと共に成長するコライドン/ミライドンのストーリー、ペパーとマフィティフの家族の絆などが情緒的に描かれる。
同じ社会で暮らすことを象徴する表現として「人とポケモンが同じものを食べる」というのが大きい。これについては『ソード・シールド』のカレーが先だったようだが、SVでもピクニックにおいて一緒にサンドウィッチを食べたり、店で注文した料理を一緒に食べる描写がある。
「同じ釜の飯を食う」なんて言葉があるが、食事を共にすることでポケモンが人間社会の一員あるいは家族であることが端的に示される。
SVでは社会の中で働くポケモンも様々に提示される。人を乗せて走るモトトカゲはその筆頭であり、町には専用の休憩スペースも整備されている。他にも空飛ぶタクシーのイキリンコや配達を請け負うペリッパー、電化製品のロトムなど挙げればきりがない。それらがテキストだけでなく映像的に表現されている。
働くポケモンに関連して、SVで特徴的なのはフィールドで見られる様々な架空の広告である。ゲーム内世界に存在する商品の広告らしきものの中にポケモンのイラストが多く見られ、ポケモンがアイコン化されている。ポケモンが広く社会に受け入れられ、愛されている様子がうかがえる。
ポケモンが町の中で暮らしていることを映像的に表現している要素は他にもある。あらゆる人が使いやすいように作られているデザインのことをユニバーサルデザインと呼ぶが、SVでは町の中にポケモンのためのユニバーサルデザインらしきものが散見される。たとえば下の画像を見てほしい。3つの高さの水飲み場があるが、一番低いものは子供用にしても低すぎる。つまりポケモン用だろう。他にもいろいろある。
シナリオのラストではこの世界の生態系を守るために主人公たちが葛藤の末にある決断を下すのだが、それが説得力を持つように感じられるのは、やはりそれまでにオープンワールドで描かれた人とポケモンの世界を体感してきたからだろう(シナリオ解釈についてはいずれ別のnoteでまとめたいと思う)。
変わったことと変わらないこと
ここまで3つのタイトルが人とポケモンの関係をどう描いたのかについて記してきた。Newポケスナではあくまで外部からの観察に徹し、アルセウスでは互いに歩み寄る過程を描き、SVでは同じ社会の一員となったさまを描いた。
しかしここまで来てちゃぶ台を返すようだが、ポケモンというゲームは初代から「全てのポケモンを集める」という目的を提示してきたし、またポケモンが社会の一員であるというのも昔からアニメを中心に描かれてきたから、これらの要素自体はまったく新しくはない。
当たり前の話だが、初代ポケモンはそもそもRPGとして超画期的だった(だから売れたし、いまだにシリーズが続いている)。一方SVはオープンワールドゲームとしては後発だし、実のところゲーム性自体は従来と比べて大きく変わっているわけではない。
ではSVを含む近年の3Dポケモンゲームのどこが今までと違うのか。それはシリーズが作り上げてきた世界観を改めてゼロから丁寧に描き直している点、そして映像技術の進歩によりその表現レベルがかつてないほど高まっているという点である。どちらかと言うと作品内容に対して映像表現がようやく追いついてきた、という印象がある。【終】
あとがき
私は子供の頃にポケモン初代~ダイパまでプレイしていたのだが、その後しばらくシリーズから離れていた。しかしNewポケモンスナップで映像表現の進歩に感銘を受け、以降アルセウス、SVと続く近年の3Dポケモンシリーズを追わないわけにはいかなくなった。アルセウスの時点で何か書こうと思ったが途中の作品を追えていないので躊躇いがあり、今回SVをクリアしたところでその感想として一度出すことにした。
3Dポケモンシリーズについてまだまだ書きたいことはある。特にアルセウスとSVに共通する「縄張り争い」について・・・しかし、現状noteにまとめるほどの量にならないのでまたまとまった段階で出そうと思う。今年はブレワイ2もあるからどうなるか・・・。
追記
下の記事によれば、少なくともSVとアルセウスは各ポケモンの3Dモデルのベースを共有していたらしい。ポケモンの種類が増えすぎたことで制作フローの効率化を迫られたとのこと。