宗教のとは、心の拠り所。自分教のすすめ
宗教と聞いて、否定的に捉える人や危ない人だと思う人も沢山いるでしょう。
私の中で宗教とは、「教え」であったり「考え」なのではないのかと思っています。
そもそも宗教は人々がまだ非力な時代に何かを崇めてそれを信じることで安心を得ていたのだと思います。
世の中には未だに分からないことばかりですが、昔はもっと分からないことばかりでした。
何故大地が揺れるのか、なぜあり得ないほどの高い波が押し寄せるのか。
何も分からず生活していて、メカニズムが分からなければ神の怒りだと済ませるのが精神的にも安定しそうです。
現代でもそんなことありませんか?
頑張ってるのに報われない。自分だけ不幸で死にたくなる。何のために生きているのか分からない。将来の不安が募るばかり。
こんな生活をしていたら何かに支えてもらわないといけないぐらい心がすり減りませんか?(笑)
信じるものがない。不安で仕方ない。
これは昔から人間が必ず持つ心です。そんな時に心の底から信じられる宗教があれば心は安定すると思います。信じるものが出来て、向かうべき人生の答えが示されるからです。
ですが、心から宗教を信じられない人って沢山いると思います。私もそうです。
ならば、自分を一番に信じてみてはどうでしょう?
私は「俺教」といつも言い聞かせて生きていますが、自分の心を神として崇めはしなくてもその反応に素直に生きるのも立派な宗教なのではないかと思います。
なぜなら、生きてきて様々な経験をして学んだことが蓄積されているのが自分の心だからです。
そしてそれが嘘偽り無いものだというのも自分なら知っています。
なかなか最初は認めてあげられなかったり、他人の意見でぶれたりしますが、出来るようになると心強い信念になると思います。
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