UXライティングはテクニカルな話じゃないと思う
昨今、UXライティングという言葉を界隈で目にするようになってきました。UXという言葉が一時期のバズワードから、普段使われるようになってきて数年という感じですが、ライティングにフォーカスされるのはとても大事な事のように思います。
※職業としてのUXライターはここでは一旦切り離して書きたいと思います。
何故UXライティングなのか?
結論から言うと、UXデザインにおけるライティングの重要度を形容する表現だと僕は思っています。
何故ならライティングというのはそれだけでもプロダクトの改善が出来るものですし、実際に言葉というのはそれだけ重要な要素であります。
これまでプロダクト開発に携わってきた人は良いライティングと同じくらいに悪いライティングにも出会ってきたかと思います。その一つの原因としては「ユーザーのコンテキスト(文脈)」を汲み取っているかどうかという事だと思っています。
コンテキストと描いたのには理由があって、ライティングにおいてもサービスを一貫した繋がりが重要でなのでは、と感じてるからです。
僕はこの仕事をし始めて十数年ですが、ずっとモヤモヤしていることがありました。それはよく見かけたこんなボタン。
昔に比べると体感減ってきた感じはありますが、僕はこの「さっそく」の意味がわかりませんでした。意味が分からない理由はこちら。
・事業都合でしかなく、ユーザー置いてきぼり
・ユーザーからするとさっそくでもなんでもない
・「いいからボタンをクリックすりゃあいいんだよ」という思惑を感じずにはいられない
・そもそも何がさっそくなのか?
この仕事をしているのでバイアスかかりまくりで、我ながら捻くれてるなとは思いますが、事実この手のボタンのラベリングを変える事で改善した事例も経験ありますし、そもそもこの「さっそく」ボタンのほとんどは思考停止の産物だと思っています。
ユーザー体験を考える
何故我々はオフラインの接客などに比べて、デジタルプロダクトになると一貫した表現が出来なくなるのでしょうか?OMO(online marges with offline)のように、「ユーザーがオンラインとオフラインをチャネルで分けて考えない」という世界になってきたにも関わらず、どこかでは断絶的にサービスを捉えているのかもしれません。
サービスを使う人は、意思的であれ無意識的であれ、何かしらの問題を解決したいと思っています。そしてそれは、あるアプリの1画面で解決する事ではないことがほとんどです。
UXライティングの重要さというのはそういったユーザーの問題を解決するためにサービスの接触タイミングからサービスを使い終わるまでの一貫した体験をライティングによって補完してあげることだと思っています。
マイクロコピーよりも、もっと広義でユーザーに言葉として寄り添って上げる事によってサービスにおけるユーザーの体験の質を上げる手段としてアタリマエレベルで気をつかって上げる事、つまりはおもてなしの精神のような気もします。
まとめ
使い古された表現ではありますが、レストランに食事に出かけて、店員さんの接客が見事にバラバラだったらどうでしょうか?言ってる内容は同じだけど、店員によって表現がバラバラだったらどうでしょうか?もしかしたら困ることはないかもしれません。だけどそれが素晴らしい事だとも思えません。
一貫したサービスの提供のためにUXライティングという考え方はとても重要だと思います。UXライティングという言葉がテクニカルで表層的なものではなく、言葉の表現をアタリマエレベルで考える世界へのプロセスになれば良いなと思っています。
デザインやサービス改善、転職ノウハウを実体験を元に書いています。サポート頂けたら嬉しいです。