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マラソンと続けること

昨日は人生初マラソンに挑戦した。42.195 km、6時間走り続けた。人生でこんなに自分の足で動いたことはない。終わった後は脚全体の激しい痛み、足の靴擦れ、長時間の圧迫、炎症で歩くこともままならない状態になった。今回は、素人が人生初マラソンに挑んで考えたことを書こうと思う。

きっかけは友達だった。その友達は高校まで陸上部で中長距離を専門にしていて、社会人になった今でも走ることを趣味にして、将来はウルトラマラソンに出たいと目を輝かせる正真正銘のランナーである。一方、私はといえば、小学校の時は短距離選手として陸上クラブに参加したり、高校まではテニスをやったりするなど、運動は大好きだ。だが大学で研究生活を始めてからは身体を動かすことはめっきり減り、気が向いた時に数キロランニングするくらいの長距離走に関しては素人である。ある日、その友達が一緒にマラソンでないかと言ってきたので、あまり考えもせず一緒に申し込んだ。

10:30に号砲が鳴った。正直走り出してしばらくは余裕をこいていた。走るのは好きだし体力にも謎の自信があり、4時間くらいで完走できるのではと夢想していた。無謀な打算は早々に打ち砕かれた。15 km 付近、両膝が痛み出す。足の関節や太ももの裏の筋肉も悲鳴をあげ出し、足が動かない。ついで腰も痛み出す。それまで気持ちよく走っていただけに、この急激な身体反応はなんだろうと驚いた。心肺機能は極限には至っておらず、心拍数はせいぜい150回/分程度。心肺機能よりも先に下半身の骨や筋肉が限界を迎えたのである。ランニングペースは急速に低下し、どんどん追い抜かされていく。ここで一度トイレ休憩に行くことにし、立ち止まった。用を足している間、リタイアするかどうか考えていた。まだ27 km あるのだ。制限時間は6時間で、それまでに完走できないと打ち切られるし、友達は待ちくたびれて先に帰ってしまうかもしれない。午後に入れば日も傾いていき、寒さは増す。残り時間から計算すると、残り27 km をずっと1キロ9分で走り続けなければ間に合わないことに気づいた。しかし、私の足は悲しくもすでに限界を迎えており「走る」ことは難しい。そこで私は「早歩き」することにした。これは不思議な発見であった。走ることができなくても人間歩くことはできるのだ。束の間の休憩を終え、再び進み出した私は、走れはしないが歩けはする、という事実に気づいて、ひとまずこの脚で最大どのくらいのペースで歩けるのかを計測した。1キロ8分40秒であった。つまりこのとき可能な最速の早歩きを27 km、時間にして4時間続けることにより「完走」できる計算が立ったのだ。

再び進み始めた。1 km おきに「現在OO km」という看板が立っている。見るたびに残りの距離を想像して、自分の体と向き合って、本当にこれを続けることができるだろうかと不安になった。ただただ苦しく、リタイアポイントで停車する送迎バスとそこに乗る人たちの顔を見ては、ああ、あそこに行けばどんなに楽になれるだろうと想像した。リタイアする人たちはスタッフに暖かく迎えられ、バナナと飲み物を受け取って帰路についてゆく。私が位置するのはおそらく最後方、時間制限で完走できるかできないかという集団であり、周りを見渡せばみんなつらそうにしている。なぜ私は走っているんだろう?この問いはひたすらに頭の中に立ち現れては答えを見つけることなく消えていった。次第に日は傾いていき、周りの声援や参加者に関心を払う余裕も無くなっていった。俯いて、意思で動いているのか、惰性で動いているのか、なんなのかよくわからない自分の足を見つめ、無心になってただただ前に進んでいた。走るのに理由はなくて、ただ足が動くから走る。走るから足が動く。少しでも止まったらもう走れなくなる。そういう予感がして、もう続ける理由を探すのはやめようと思った。

長く、つらく、寒い、42.195 km の終わりが見えた。ゴール地点に近づくにつれ、歓声が増え、ああ、やっと戻ってきたんだと思った。誰に頼まれたわけでもない、誰に期待されるでもない、何か得があるわけでもない。それでも克己し、最後まで進みつづけた。こんな純粋体験をしたのは久しぶりだった。

進み続けることは本当に大変だ。簡単ではない。時には理由を見失ったり、そもそも理由が見当たらないことがある。だけど、どんなに遅くても進めば前に進むのである。これはすごい。これは他者に変えられてしまうことがない。例えば、私の友達が2時間前にゴールしたからその時点で私のマラソンが強制終了するなんてことはない。進むどうかは完全に自己に委ねられており、他者に侵害されない。そうしたごく単純で冷徹な事実の中に、私が体験したような精神的起伏、身体変化など、ある人の中で巻き起こる葛藤やストーリーがある。

もし私が練習を積んで余裕で完走できるようになったら、このような極限に見る感情や感覚を捉えることはできなかったかもしれない。そういう意味で、私のような初心者にこそマラソンに挑戦してほしいと思うのである。決して楽しかったとは言えないが、終わってなおそのような感情になる純粋経験をする機会は日常にあまりない。大変貴重な体験であった。

と、個人的体験ばかり書きましたが、道中で応援してくださった多くの地元の方々や、サポートしてくださったスタッフの方々がいなければ、もっと早く諦めていたかもしれません。本当に温かい町でした。ありがとうございました!

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