パンとバラ稽古場レポート④ 豊かな演劇であることと、そこにある愛について(後編)
あらすじ
コロナ禍の合間をぬって、その読書会は行われている。
本を読むことに慣れているわけではないけれど、人生が退屈すぎて、退屈はほとんど恐怖で、わたしたちはここに来る。
カッターを人に預ける。クレジットカードも人に預ける。
『人形の家』を読んでおしゃべりをして、
『サロメ』を読んでおしゃべりをする。
そしてわたしたちは初めて「演劇」をはじめる。
自傷しないひとはどんな感想を抱くのか
それは、公演に関わることが決まった数か月前のこと。初演の感想をネットでいくつか読み、とくに印象に残ったのが、
自傷をしないひと、精神疾患に苦しんでいないひとは、この作品を観てどんなことを思うのだろう
という趣旨のことばだった。
その条件に当てはまる人間のひとりとして、お答えしたい。
最初に抱いたのは、罪悪感だった。
同じ時代、同じ国で想像もしなかった苦しみの中にいるひとの存在をこれまで意識してこなかった、ということはもちろんのこと、
最も強く感じたのは、ありのままに記すと「わたし程度が生きづらいとか言ってごめんなさい」……という気持ちだった。
生きづらさ、ということばを知ったのは二十歳を過ぎてからだったと思う。このことばをかたわらに置いていられたら、十代をどれほど楽に過ごせたかと思うくらいには、それなりに「生きづらさ」を感じてきた自負はある。
けれど、他者に明確な加害を受けたこと、
自分よりも力の強い他者の、弱さのはけ口になったこと、
は、なかった。今、あらためて思い返しても、ない。
ゆえに、公演に参加することには迷いもあった。
やはりありのままに書くと「わたし程度に何ができるのだろうか」という思いを消すことができなかったからだ。
知らなかった/体感ではどうしてもわかり得ない世界の、繊細な部分を扱う作品だ。
作品に触れて救われるひとは、きっとたくさんいるだろう。
だからこそ、不用意に扱うことはできない。
そんなかたくなとも言える思いが少しずつ、稽古場に足を運ぶたびに溶けていったのは、意外なことだった。
『パンとバラ~』を語るときには、どうしてもその内容、虐待だとか精神疾患だとかいう「重い」部分に言及することが多くなる。
しかし、この作品の魅力はそれだけではない。
コミカルなシーンは、何度も試行を重ねて作りこまれていた。
隣で何度も「……おもしろっ」と呟いていた演出助手の諏訪さん(個人的には、彼女の呟きが一番面白かった)は、代役からスケジュール管理までしっかり務め上げる敏腕ぶりを発揮し、
作曲・生演奏の後藤さん、歌唱指導の松尾さんは、稽古の随所で言葉すくなに、けれどしっかりと歌い手である俳優とのコミュニケーションを取り、
手話通訳監修の河合さんは、通訳者の舞台上での動きについて演出の扇田さんと同じかそれ以上の熱量で意見を述べ、
そのすべてを静かに見守る技術スタッフの方々の安心感といったら。
もう20年近く前になるが、大学時代に受けて一番面白かったと感じた、「小説の読解」をメインテーマとした授業で、講師の方が、
僕は、豊かな小説というのは、切り口がたくさんある小説だと思う
と仰ったことを未だに覚えていて、
そのことばが、小説にかぎらず、芸術作品について考えるときのひとつの基準になっている。
そしてその意味において、『パンとバラ~』は非常に豊かな作品だ。
戯曲も、俳優も、(手話を含む)演出も、
照明も、音響も、曲も、衣装も、
扱う社会問題も、
どの切り口からも味わい、考えることができる作品だ。
それはそれぞれの分野のプロが、真剣に、愛を持って作っているから。
公演を見逃すな!
オノマさんの作品を拝見するようになって、たぶん10年くらい経つ。
全部は観ていない。
小さな会場でやったものも、大きな劇場でやったものもあった。
賞の候補になったものも、ならなかったものもあった。
個人的な感想で言えば、観るたびに涙が止まらなくなるものも、いまひとつぴんとこなかったものもあった(オノマさんすみません)。
それから、ここ数年は高校生と演劇をつくる機会のほうが多かったようなので、いわゆる「小劇場演劇」が好きな方の目に触れる機会は、ひさしぶりと言っていいのではないだろうか。
(『パンとバラ~』の初演は、劇場の所在地が神奈川県だったこと、上演日数がけっして多くはなかったことや時期などから、それを必要とする人に情報がうまく届ききらずに終わってしまった可能性があるのではないかと考えています)
そのようなことを前提とし、今言えるのは、
後から振り返って、趣向という団体の、オノマリコという劇作家の、
節目だったと思える公演になる予感がする、ということだ。
作品の内容だけにフォーカスするならば、昨年上演したものと変わりはない(細かな部分で加筆はあるようなので、昨年ご覧になった方はどうか楽しみになさっていただければと思います)。
そして、内容のみにおいても非常に示唆が多く、観客として受け取れるものが多いのだが、確実に作品全体が質を上げているのだ。
初演の映像を何度か見返しているが、良い意味で、俳優を含めた作り手の身体に作品が馴染みきっていない、まだ青さの残る果実という印象を受ける。
それが、今では色を変えている。成熟が進んでいる。
わたしの目には、そのように映る。
ここで重要なのは、比較対象にしているのが、本番と稽古という点である。
まだ、稽古しか見ていないのだ。
それで、こういうことを、憚らずに言えてしまうのだ。
かつて、小劇場演劇という業界に、スタッフという立場で、だいたい10年くらい籍を置いていた。
そのなかで忘れられない作品、見逃さなくて本当に良かったと思える作品は、だいたい2~5本くらいだ。
『パンとバラで退屈を飾って、わたしが明日も生きることを耐える。』
東京・兵庫の2都市ツアー。
再演。
キャスト・スタッフは、初演とほぼ同じメンバー。
きっと誰かの、忘れられない作品になることでしょう。
微力ながら、作品づくりに関われたことを光栄に思います。
まずは東京公演初日、楽しみにしております。
前編はこちら↓
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