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ヴァイオレット・エヴァーガーデン

この愛という花言葉を持つ自動手記人形の物語はいたるところで、感動の言葉に埋め尽くされており、いまさら素人はだしの自分が書くこともないと思う。
が、Rama Amoebaを牽引する友人のアキマツネオから、「いま自分がハマりまくっている」
と強い誘いを受け、その「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が地上波で放送されるというので、遅ればせながら観させてもらった。
それからというもの録画したものを何度となく観返している日々なのである。
本来はシリーズで観なければ、ファンたちのいう神回の感動などは得られないのであろうが、この作品の制作が、あのあまりの惨劇の起きたことで知られる京都アニメーションであり、数々の難関を乗り越え、その京都アニメーション大賞を受賞した作品と知り、その時点で大きく見方が変わってしまったのは否めない。
事実、エンドロールに流れるスタッフ名に全員の名前が記載されたとの話にも胸が締め付けられる思いだった。

映像の美しさ、こだわりの視点、物語のきめ細かさ、上げ始めたらキリがないほど凄すぎる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」だが、こと自分が1987年に出した「クリスタルナハト~水晶の夜」というアルバムを彷彿とさせるようなイメージに駆られたのも極々自然な出来事であった。
この「水晶の夜」という言葉の裏に隠された第二次世界大戦の凄惨な裏世界史を描きたかったアルバムのなかで「4759」という歌が出てくる。
この中で、
「フロイライン オステルン(復活祭)の夜に香水を投げろ フロイライン 水晶の夜は香水を替えろ ・・・マイヨール~少佐殿 あの日 おまえが帰るのを 少佐殿 いつまでも待ち続けてた娘は ウンタ~デンリンデン(菩提樹の下)にいまも足を運ぶよ」 
ウンターデンリンデンというベルリンの大通りにある無名戦士の墓に帰らないであろう人を待って、通いつづける少女という流れに寄せられてしまう。
自分が観たのは劇場版であるので、ギルベルトの墓を目の当たりにした衝撃ではなく、彼の母親の墓参りでのディート・フリートとの遭遇シーンであるのだが、どうしてもこのレールに耳を当てて列車の動向をさぐる女兵士「4759」のフロイラインのイメージとヴァイオレットが重なってしかたないのだ。
海へ飛び込んだヴァイオレットとギルベルトのシーンで、自分ごとで申し訳ないが、ここで頭脳警察の「さようなら世界夫人よ」が流れていたら、それこそとんでもなくもっと素敵なシーンになるのになどいう妄想もしかり、そして突然、大写しで描かれる「あいしてる」のひとこと。
この最後の「あいしてる」というたった5文字の言葉のなかに、京アニ、製作スタッフ、ファンのみなさんの気持ちがすべて詰まっている。
自分はいまだに「あいしてる」という言葉を吐けずにいるが、あいしてるから離れる、犠牲になる、黙っている、いろいろ付随の言葉は限りなくあるのに、舌禍事件ばかり起こしてきたこの唇がいつか「あいしてる」という大失言も一興かも。
そしてラストシーンでのデイジーの言葉は痛く感じ入った。
「私の素直な気持ちを伝えたい 伝えたいあの人は 今 この時にしかいないから・・」
ありがとう京都アニメーション、すばらしいものを観させてもらいました。


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