【加筆修正版全文掲載】オフィシャルレポート 『PANTA、生きる――『七夕忌 PANTA一周忌&頭脳警察55周年記念ライブ』』
決意と覚悟
――余命宣告2年から急逝1年。PANTA<中村治雄>(Vo、G)を始め、TOSHI<石塚俊明>(Per、Dr)、おおくぼけい(Kb)、 澤竜次(G)、宮田岳(B)、樋口素之助(Dr)、竹内理恵(Sax)という頭脳警察のメンバー、そしてPANTAと伴走したマネージャー&プロデューサー、田原章雄にとって、そんな数年間だったのではないだろうか。
すべては“逆算”から始まり、やるべきことをやれるときに行う。人知れぬ苦労や葛藤、肉体的、精神的な痛みもあったかもしれない。しかし、それを見事に成し遂げた。PANTAの命日にあたる7月7日(日)の翌日、7月8日(月)に渋谷「 duo MUSIC EXCHANGE」で開催された「七夕忌 PANTA一周忌&頭脳警察55周年記念ライブ」を体験して、改めて、そう思った。
改めてその前後の数年を振り返る。2022年6月5日に渋谷「La.mama」で行われたPANTA応援ライブ『P―FES Vol.1』に闘病中のPANTAは登場した。まだ本格的な活動はできないという挨拶ののち「絶景かな」などを熱唱している。同フェスは“PANTAを励ますつもりが、PANTAに励まされた”と言われた。
2023年4月2日に同じく渋谷「La.mama」でPANTAを応援するイベン「P-FES Vol.2」が仲野茂をヴォーカルに迎えた頭脳警察Xが出演、続く同年6月4日に渋谷「La.mama」でPANTAを応援するイベント「P-FES Vol.3」がマリアンヌ東雲、ポカスカジャン(大久保ノブオ・タマ伸也)、頭脳警察が出演して開催され、同日にはPANTAもステージに立っている。
同年6月14日(水)には東京・渋谷「duo MUSIC EXCHANGE」で開催されたイベント『夕刊フジ・ロック5th Anniversary“Thanks”』にPANTAは頭脳警察として出演。ミッキー吉野や芳野藤丸、山本恭司、うじきつよし、玲里、難波弘之、原田喧太などと共演している。それは“偉大なる復活”と言われた。
しかし、その復活は叶わず、PANTAは2023年7月7日に肺がんで亡くなる。73歳だった。そして、9月1日(金)には渋谷「duo MUSIC EXCHANGE」で「PANTAお別れ会 献花式・ライブ葬」が行われている。
本2024年2月4日(日)に渋谷「La.mama」で頭脳警察最新アルバム『東京オオカミ』発売記念&PANTA&TOSHI 74歳生誕祭&頭腦警察55開始!&ミュージックマガジン「PANTA追悼増刊号」(『パンタ/頭脳警察――反骨のメッセージと叙情が交差するロック詩人の航跡』)記念イベントが開催されている。ここ数年の活動の経緯と背景が赤裸々に語られた。いまだから話せる驚愕の事実もあった。いずれにしろ、ライブやイベント、レコーディングなど、彼らはやり遂げ、そして、この日、“七夕忌”を迎えている。PANTAは体調が悪い中、メンバーやプロデューサー、メディカルスタッフ、レコーディングテクノロジーのサポートでライブやレコーディングを続行して、数多の“歌”を作品にしている。そんな時期にも関わらず、彼は泣きごとなど、言わず、淡々とやり切っている。その間に会ってもいつもの優しく、穏やかなPANTAでいた。驚くべきことではないだろうか。人生の最晩年を見事なまでにやりきった。有終の美などといいたくないが、天晴というべきだろう。PANTAらしい、生き方と言っていいかもしれない。しかし、PANTAは死んでなどはいない、生きている――。
開演時間の午後6時を過ぎ、その後、4時間にも及ぶ、壮大で雄大なドラマが始まる。
頭脳警察のメンバーとともに最初に登場したのは難波弘之・玲里親子とうじきつよしだった。頭脳警察の澤が使用したレスポールタイプのギターはPANTAが使用していたレフティタイプのギター(PANTAは左利き)を「お茶の水楽器センター」で、ナットなどを右弾き用に完全調整したものだという。玲里はTOSHIが脱退し、PANTAがスタジオ・ミュージシャンと作った、頭脳警察らしくないといわれる5枚目のアルバム『仮面劇のヒーローを告訴しろ』(1973年)のPANTAらしい名曲「イエス・マン」を歌う。こんな屈折が難波・玲里親子らしい。鮮やかな滑り出しだった。
うじきつよしは昨2023年6月14日(水)に渋谷「duo MUSIC EXCHANGE」で開催された『夕刊フジ・ロック5th Anniversary“Thanks”』で、PANTAの指名で彼の代わりに頭脳警察Xのヴォーカルとして頭脳警察のメンバーと「銃を録れ」や「ふざけるんじゃねえよ」、「時代はサーカスの象にのって」、「万物流転」などを歌うという重責を務めている。頭脳警察の名曲達を歌った後、PANTAが登場して、彼とともに「悪たれ小僧」を歌っている。この日も同曲を歌った。その歌にPANTAへの思いを込める。勝手な想像だが、“うじき、いつまでも悪たれ小僧でいてくれ”と、PANTAが言いながら彼の背中を押すかのようだ。同曲の後、現在の頭脳警察のメンバーが集まる契機となった頭脳警察結成50周年記念アルバム『乱破』(2019年)に再録された「R☆E☆D」(オリジナルは1986年にリリースされたPANTAのソロ・アルバム『R☆E☆D(闇からのプロパガンダ)』に収録。同アルバムのタイトルトラックである)を歌った。原曲は架空の映画のサントラとして制作されたものだが、“革命・進化・退化”を繰り返す世界というテーマはいまにも通じるものだろう。むしろ残念ながらタイムリーなものかもしれない。
続いて登場した下山淳はPANTAが歌詞を提供したTHE ROOSTERZのアルバム『Four Pieces』(1988年)の「鉄橋の下で」と「曼陀羅」、そしてPANTA&HALの名曲「裸にされた街」(PANTA&HALが1979年にリリースしたアルバム『マラッカ』収録)を披露する。これらの曲について、PANTA自身も思い入れがあるらしく、まさに“裸にされた街”だったコロナ禍の2020年5月に下山が自らの生誕祭の配信ライブで、「曼陀羅」や「裸にされた街」などを演奏したことをPANTAは自らのnote( https://note.com/panta/n/ncefd46669963 )で紹介している。
その歌を歌うには必然がある。偶然の産物ではない。SNSなどでも話題に上がっていたが、PANTAが提供した2曲がTHE ROOSTERZのラストアルバムがラストを飾るに相応しいものにしていると言っていいだろう。下山は自分が作った曲にPANTAにもっと歌詞をつけて欲しかったと語っていた。
PANTAはムーンライダーズの白井良明、ポカスカジャンの大久保ノブオと、「青空ボーイズ」というユニットを結成し、横浜や金沢などでもライブを行っていた。今回、大久保は白井とともに青空ボーイズとして出演の予定だったが、白井が体調不良のため、欠席になってしまった。二人のヴォーカリストを欠く中、大久保が頭脳警察の「いとこの結婚式」、「back in the U.S.S.R」をカバーして乗り切る。「いとこの結婚式」(1972年にリリースされた『頭脳警察セカンド』収録)の違和感や疎外感を見事に表現し、「back in the U.S.S.R」(オリジナルはビートルズの“ホワイトアルバム”こと、1968年のアルバム『ザ・ビートルズ』に収録)では世界の現状を照らし合わせ、洒落にならない世界を歌い切った。勿論、金沢のライブ後、PANTAと白井がライブ会場と目と鼻の先にある打ち上げ会場へ一歩も歩こうとせず、タクシー移動したこと、近距離を理由にぐずる運転手にサングラス姿のPANTAが無言の圧力(!?)をかけたこと、しかし酔った後は千鳥足で近距離の宿泊先へ歩いて帰ったことなど、しっかりトークでも盛り上げる。こんな緩急や間が生まれるのがPANTAならではだろう。
次はPANTAのファンでもあまり馴染がなく、意外な人選ではないかと思われる声優の夏川椎菜が登場する。コメディアンから声優へ、このバトンには目が眩む(笑)。舞台「オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-」(シラー作・深作健太演出・夏川椎菜主演)の2022年10月の大阪公演でPANTAと共演している。PANTAはステージで「さようなら世界夫人よ」を披露している(大阪3公演の特別出演で、車椅子で歌唱、演奏をしている)。演出した深作健太は同作について「〈戦争〉について、考える演劇」であると語っている。
彼女はPANTAが石川セリに提供した「ムーンライトサーファー」を披露。石川セリを通して、PANTAのメロディーメイカーとしての才能、ポップスへの愛着が伝わる。PANTAは決して、過激なロッカーという側面だけでは語れない。続いて、頭脳警察の最新作『東京オオカミ』(2024年)に収録されている、橋本治に捧げた「冬の七夕」を歌っている。PANTAと橋本の友情と愛情が交錯する、二人の刻んだ関係と軌跡を歌うという、その“重責”を見事なまでにこなす。
頭脳警察といえば、アナーキー(亜名亜危異)だろう。その影響も強く、実際、共演も数限りない。仲野茂がプロデュースしたイベント『The Cover』は頭脳警察とサンハウスの再結成を見たいがために始めたものだった(その後、両バンドが再結成しているのは説明不要だろう)。 仲野茂はPANTAとの初対面について語った。それは“『KISS』(1981年にリリースされたPANTAのソロ・アルバム。いままでのイメージを破るスウィートなポップソング集)不買運動”の渦中であった。雑誌の対談でPANTAと出会っている。発言は他のメンバーに任せ、バイクで来たPANTAがその日、着用していたヘルメットを被って、一言も口を利かなかったいう。そんな彼へPANTAは怒りもせず、後年、愛用しているヘルメットをくれたそうだ。仲野がヘルメットを受け取ったのはPANTAが亡くなる1ヶ月前のこと、仲野のラジオにPANTA がゲスト出演した際に渡され、形見となったものらしい。そのヘルメットはこの日、誇らしげに披露された。
仲野はPANTAのファーストソロアルバム『PANTAX’S WORLD』(1976年)から「屋根の上の猫」を歌う。アナーキーには「屋根の下の犬」という曲がある。それは『KISS』時代のPANTAへの叱咤激励(エール!?)だった。“トゥナイト!”でお馴染み、ノンフィクション作家の生江有二は“時代は猫か、犬か”と、当時、アナーキーの評論文で激を飛ばし、両者へ詰め寄った。
仲野茂は同曲に続いて、頭脳警察の「ふざけるんじゃねえよ」(72年2月に『頭脳警察1』、同年5月に『頭脳警察セカンド』の発禁・発売中止処分を経て、1972年10月にリリースされたサードアルバム『頭脳警察3』に収録)を披露する。いうまでもなく、頭脳警察の代表曲。“動物繋がり”である。
仲野茂はいま、頭脳警察の竹内理恵を引き入れ、下山淳とともに新生・仲野茂バンドを始動させている。同バンドでは頭脳警察やPANTAのナンバーをいまの歌として、歌い継いでいるのだ。
頭脳警察の『東京オオカミ』に収録された「海を渡る蝶」(同曲は2019年4月、新宿花園神社に設営された水族館劇場野外天幕で上演された『Nachleben(ナッハレーベン)搖れる大地』の作・演出を手掛けた桃山邑が歌詞を書いた同公演の劇中歌。現在の頭脳警察はその水族館劇場野外天幕でデビューしている)へスペシャルゲストとして参加して異彩を放っていたキノコホテルのマリアンヌ東雲。彼女は『東京オオカミ』に収録された「タンゴ・グラチア」を歌っている。明智光秀の娘、細川ガラシャをモチーフにした曲で、敬虔なクリスチャンと知られ、最後は非業の死を遂げている。PANTAはスコセッシ監督の『沈黙』にも出演している。同モチーフも隠れキリシタンを演じたことと関係があるかもしれない。
そして頭脳警察の70年代のラストアルバム『悪たれ小僧』(1974年)に収録された「あばよ東京」。同曲とともに「東京オオカミ」「絶景かな」の2023年6月14日渋谷duo MUSIC EXCHANGE「夕刊フジ・ロック 5th Anniversary〝Thanks “」でのライブ音源がアルバム『東京オオカミ』に先駆け、その前年、2023年11月に『東京三部作』としてリリースされている。同曲が彼女によって、蘇る。見事までの艶歌と怨歌になる。彼女の吐く“あばよ”の切なさよ。
意外にも不意打ちをくらったのが高嶋“スターレス”政宏だった。高嶋兄弟の高嶋兄だが、意外な交流かもしれないが、彼はPANTAのイベントに度々、出演している。
高嶋は頭脳警察、PANTAの信奉者で学生時代(未成年時代)は“ニューイヤー”に係員の目を盗み、会場に忍び込んで見ていたという。その後、金属恵比寿などのプログレ&SM(!?)繋がりでPANTA絡みで前述通り、イベントに何度も出演している。PANTAから貰ったというTシャツとベストを誇らしげに着て、頭脳警察の結成50周年記念アルバム『乱破』(2019年)に収録された新しい名曲「戦士のバラード」を心込めて、彼へ向けて歌う。高嶋はまさか、同曲をPANTAのために歌うことになるなど、信じられないと語る。演出過多ではない、直截な歌が聞くものにダイレクトに伝わり、心と身体を揺らす。ある意味、“役者ロック”にしないところに彼の拘りを感じさせる。それを観客は肌で感じ取っていたはずだ。
続いて登場したROLLYはPANTAとツーマンで自ら車を駆って全国を回っている。1997年にマーク・ボラン生誕50周年を記念してリリースされたT.REXのトリビュートアルバム『BOOGIE WITH THE WIZARD』(2017年にリイシューされている)にともに参加し、同アルバムに収録した「T.レックス・トリビュート・メドレー」ではマーク・ボランの名曲を歌い継いでいる。二人の接点はグラムロックだが、実はPANTAにとって、彼が好きなシャンソンについて思い切り話せるのがROLLYだったという。PANTAは彼とシャンソンのことを話せるのが嬉しかったという。
シャンソンとグラムの融合か!? ROLLYは説明不要の名曲達、「銃をとれ 」と「コミック雑誌なんかいらない」を披露する。その演劇的で衝撃的な曲展開は新世代の解釈というべきもので、原曲を改竄ではなく、止揚していく方法があることをおしえてくれる。PANTAのためのライブでなければ、そんな発想はそう出てくるものではないだろう。
頭脳警察、ROLLYらとともにマーク・ボランとT.REXのトリビュートアルバム『BOOGIE WITH THE WIZARD』に参加し、同じく同アルバムに収録した「T.レックス・トリビュート・メドレー」ではマーク・ボランの名曲を歌い継いでいるアキマツネオ。彼は長年、マーク・ボランを追悼するイベント『グラムロックイースター』を開催している。PANTAも同イベントに協力し、共演も数多い。アキマは『頭脳警察7』(1990年)や『東京オオカミ』(2024年)のレコーディグにも関わっている。
アキマが披露したのはPANTA&HALのアルバム『マラッカ』(1979年)にラストナンバーとして収録された「極楽鳥」である。いうまでもなく、マーク・ボランに捧げたナンバーだ。曲の構成が難しく、演奏は緊張するといっていたが、マーク・ボランを追悼してPANTAが書いた曲をその曲を書いたPANTAを追悼して歌い、演奏するという愛や思いがマシマシの歌と演奏だった。
同曲に続き、頭脳警察のアルバム『頭脳警察7』(1990年)に収録された「万物流転」をオリジナルの歌詞で歌った。実は、同曲はデモテープに録音されたオリジナルの歌詞を知っていて、そのデモテープの存在を覚えていたのはアキマだけだった。アルバム収録曲の歌詞は、そのオリジナルバージョンではなく、意図せず割愛されてしまったものだったのだ。古代ギリシアのヘラクレイトスの思想“万物は流転する”を元にしたものだが、同曲をオリジナルの歌詞で披露している。切なさと諦め、別離と再会--いろんな感情が交錯していく。
アキマツネオはそのステージでとりわけ心に残る言葉を投げかけている。“PANTAが近くにいると感じる。PANTAの歌を懐メロなんかにしない”と力強く語ったのだ。7月8日(月)、東京・渋谷「duo MUSIC EXCHANGE」で開催された『七夕忌 PANTA一周忌&頭脳警察55周年記念ライブ』に参加、観覧した誰もが同じ気持ちだろう。「PANTA、生きる」を実感したはずだ。
ROLLYの演奏も彼ならではステージだったが、若手代表(!?)に相応しい、らしさが溢れていたのは大槻ケンヂのステージではないだろうか。1972年に発売予定されるもレコード会社の自主規制で発売禁止となった幻のデビューアルバム『頭脳警察1』(2002年に紙ジャケットCD盤で再リリースされている)に収録された「世界革命戦争宣言」の朗読から1990年から1991年まで、1年間の期間限定で復活している頭脳警察がリリースしたアルバム『頭脳警察7』(1990年)に収録された「Blood Blood Blood」へと歌い継ぐ。70年代の頭脳警察と90年代の頭脳警察を見事に繋いで見せた。頭脳警察は“歴史から飛びだせ”ではないが、その楽曲達は時空の壁を超えることを証明して見せた。
高嶋政宏とともに役者にも関わず、観客に衝撃を与えたのは渡辺えりではないだろうか。その前に頭脳警察を信奉するものは彼女に感謝しなければいけない。頭脳警察の名前を日曜昼間の街ブラ番組で連呼して、お茶の間に頭脳警察の存在を世に知らしめた大恩人である。いまも続く、日曜の正午から2時間、ナベプロが制作する街ブラ&旅番組「うま街道旅」(同番組ではゴダイゴの「ホリー&ブライト」が挿入歌として使用されている)の2020年12月13日放送回で渋谷の宮益坂のミヤシタパークのフェイスレコードにあった頭脳警察のアルバム(『頭脳警察セカンド』のアナログ盤)をピックアップして、頭脳警察の名前を叫んでいる。日曜昼間という場違いな時間と場所を超えて、お茶の間に頭脳警察が紹介された奇跡の瞬間である。渡辺えりは“秘密のケンミンSHOW”だけではない。
学生時代から頭脳警察をコピーしていたという渡辺。憧れの頭脳警察との共演に興奮気味であるが、その佇まいは実に堂々として、板の上に立つ役者の輝きがある。いつか、PANTAと舞台で共演しようと約束していたが、彼との共演は叶わなかったが、オリジナルはPANTAのヴォーカルとTOSHIのドラムスという二人で演奏された頭脳警察の「腐った卵」(アルバム『頭脳警察7』のオープニングナンバー)を披露する。同曲でTOSHIはパーカッションからドラムへと持ち場を変えている。まさに圧巻のステージである。渡辺はオリジナルの歌詞だけでなく、自らが思いついた歌詞も歌い込んだという。まさに歌は生きている。渡辺はその歌に命を吹き込む。そして、PANTAの歌はいま、歌われるべき歌だと告げた。
続いて渡辺はショールを纏い、PANTAが沢田研二に提供した「月の刃」を歌うことを告げる。会場からは“ジュリコ――”とかけ声が飛ぶ。ジュリーファンとして知られる彼女の綽名でもある。その華やかさは優雅で典雅なショーの幕開けである。改めて渡辺えりの役者として、歌手としての迫力に気圧される。多くのものが心と身体を振るわされた瞬間ではないだろうか。
そしてステージに鈴木慶一とミッキー吉野が登場する。ともにキャリア50年を超す二人だが、ライブでのツーショットは初のことだという。ミッキーは1974年に郡山で開催された“ONE STEP FES”の8月8日(木)にミッキー吉野グループとして、はちみつぱいと同じ日に出演しているが、共演などはなく、まさにすれ違いだったそうだ。
鈴木慶一によると、ミッキーと初めて会ったのは日本アカデミー賞の音楽賞の2005年の受賞式だったという。前年2004年に『座頭市』で同賞を受賞した鈴木慶一は同2005年に『スウィングガールズ』で同賞を受賞したミッキー吉野と岸本博に直接、賞状と盾を授与している。
広いようで狭い、狭いようで広い音楽業界。この座組はPANTAの差配だろうか。粋な演出というべきだろう。
鈴木慶一がプロデューサー(アルバム表記はディレクター)を務めたPANTA&HALのアルバム『1980X』(1980年)のために提供した「オートバイ」が披露される。ミッキーのキーボードが同曲の浮遊感を演出する。頭脳警察と鈴木慶一とミッキー吉野の共演。まさにPANTAがいなければ生まれなかったものだ。鈴木慶一はPANTAとミッキーの連載対談が書籍になるのを楽しみにしているという。
そして同じく鈴木慶一がプロデューサーを務めた『マラッカ』(1979年)に収録された、かの五木寛之も絶賛の名曲「つれなのふりや」が鈴木慶一によって歌われる。イントロのシンセなど、エスニックな響きはミッキーの独壇場だろう。会場からは同曲に合わせ、手拍子や歌声が巻き起こる。ベースにレゲエなどがある同曲が、曲が進むにつれて、PANTAと鈴木慶一が思い描いたオイルロードと、ミッキー吉野が描いたシルクロードが交錯していくのを感じる。マッシュアップといっていいかわからないが、何か、そこに新しいものが生まれたのを感じる。最後は鈴木慶一が下手と上手に分かれてのコーラス合戦を指揮する。鈴木慶一はゴダイゴの“ウーアー合戦”など、知る由もないと思うが、そんなシーンを思い出した観客も多いはず。
いずれにしろ、PANTAだからこそ、起こる奇跡や事件、瞬間だろう。やはり、彼はその場にいた。最後にPANTAがスクリーンに登場し、私達に歌いかける。「東京オオカミ」、「絶景かな」、「さようなら世界夫人よ」が、PANTAの歌と頭脳警察の演奏で披露される。PANTAは私達と一緒にいる。まさに圧巻と驚愕の大団円である。PANTAへの愛と思いと尊敬が溢れる4時間(セットチェンジがあるものの、ちゃんとした休憩は大幅なセットチェンジのための15分ほどだった。観客は席が足りず、立ち見も多かったが、痛みに耐え、よく頑張った!)に渡る夢の競演。この経験は忘れることはないだろう。その夢には続きもありそうだ。また、会えそうな気がする。
この日、ミュージシャンだけでなく、俳優や声優、コメディアンなど、ジャンルやカテゴリーを縦横無尽に超えて、意志ある“野合”を繰り広げた。その中心にはPANTAの歌と演奏、歌詞と曲があった。改めてPANTAが日本ロック界最高の詩人で最強のメロディーメイカーであることを再確認すべき。いわずもがなかもしれないが、それは時間を経れば経るほど、リアルなものとして感じてくるはず。私達の未来への道筋に明かりを照らす。七夕の邂逅、こんな素敵な機会を作り、PANTAが自ら生きているのか、他者によって生かされているのか――それはわからないが、“PANTA、生きる”を実感させてくれた人達には感謝しかない。そして、頭脳警察55周年、おめでとうございます。まだ、出さなければならない作品はたくさんあるという。“新作”を楽しみにしている。“七夕”は私達にとって、PANTAと邂逅する日になった。
本文/市川清師
写真/加藤 孝 中村光江
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