曖昧さの綱引きの先に
僕らは、自分と他者、自分と自分の対立の中で揺らぐ。
僕はボードゲーム のお店を運営している。共同経営という立場ゆえの悩みであるが、利益の追求とお客さんがより居心地がいい空間の両方を貪欲に求める。
共同経営のAは言う「もっと〇〇であるべきだ。」
共同経営のBは言う「もっと△△であるべきだ。」
20:80? 60:40? それとも100:0?
ここで、正しさを求めるための綱引きをする前に、まずは認めたい。
一つの事実を。
それは願いだ。お互いの『願い』だ。
その願いには利己的でない何か。言葉にならない何かがある。
お互いの願いを、100というパイを分け合うよりも、願いを確かめながら、曖昧さを許しながら、「それも愛おしいよね」、という形にできないのだろうか。
Aさんの願い+α:Bさんの願い+β
にできないのだろうか?
そのためには、選択肢を他から持ってくる。つまり問いを再定義する。
時間はかかるし、ただの徒労で終わるかもしれない。
背反もしくは対立する文脈に、天邪鬼に立ち入る素朴で、そんな第三の選択肢としての問いを持ってくることで、互いを尊重しながら、納得できる道を僕らは見つけられるかもしれない。
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