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ぼくらは「役に立つ何者か」になれているのだろうか。

ぼくらは「役に立つ何者か」になれているのだろうか。

結論、あなたはすでに誰かの役に立てている。

沖縄の石垣島で過ごすことが増えたのだが、
そこでの時間感覚が本州と比べて、とても緩やかだ。

しばしば宿泊する沖縄のゲストハウスでは22時には消灯するし、8時にならないとその移住空間に光が入ることはない。

慌しくないそんな環境に身を置くと、いろいろと見えてくるものがある。視野が広くなるし、周囲の人に自然と目がいく。

そのゲストハウスにはたくさんの人が集まる。

陶芸家や
マーケティングコンサルをなさっている人や
海外の服を輸入し、販売している人、
写真家。

そういった特定の企業に属さずに、自分自身に付加価値を持ち、生計をたてている人ばかりを目の当たりにする。

その中で、ふと自分に目を向けたときに、
「あれ、自分っていろんなことに手を出しているけども、何かを極められているんだろうか? 他人に評価されることを成しているのだろうか?自分には空っぽだ」細胞レベルでそんなことを思ってしまった。

友人にそんな話をしてみたところ、
「そうだよね。お前、超プライド高い完璧主義者だもんね。」
と言われた。

完璧主義者とはなんだろう。

なんでも完璧にやらないと気が済まない人か?

友人が言いたかったのは、おそらく文脈的に、

他人に絶対認められる成果を出せるまで、入念に準備をし、結果、踏み出せないタイプの人。

すぐにはふに落ちず残っていた完璧主義者の言葉をこの意味合いで受け取ったとき、納得ができた。

コツコツが苦手で、すぐによい評価や結果がでることしかやらない。

なんなら内心、自分は特別な存在なんだなんて思いたがっていた。

高校入学後の基礎学力テストで数学満点をとった。
だから高校で数学1番をとりつづけられるよう誰より勉強した。
高校では校内で数学は誰よりも勉強した。1番をとりつづけた。

新卒研修では300人いる研修生の中では最初のテストで3番くらいだった。
その後は、入念に努力をして常に1,2番を競っていた。

初めから優位性がなければ、おそらく努力はしなかっただろう。

目立てたり、優位だと思うもの、そんなものがなければアイデンティティを保てないし、努力もできない。

スポーツやバイト、恋愛に至ってもそう。

他の人と比べて劣っていると思ったものは早々と諦めたし、
目立てないとわかったら、すぐにでもバイトやスポーツをやめてしまった。

ナンバーワンでなくてはならないのだ。

他者と比較しがちな不健全なプライドに固執していた。


しかし、一定の評価を得ている人はそもそも多くの場合、地道さを歩んでいる。地の道を歩くのに、自分だけ羽が生えていて飛んでいけるなんて考えるなんて激甘だったと思う。右足、左足、そして右足と一歩一歩、ステップバイステップで、歩を進めるしか道はないのだ。


そして、なによりたいていの場合、世界や時代が変われば、えてして人よりも秀でる基準なんてものは変わっていく。

女性が結婚相手に求める3Kなんかは
1985年〜1991年のバブル期では
・高身長
・高学歴
・高収入
だったのが、
⬇︎
今では
・値観が合う
・金銭感覚が合う
・雇用形態が安定している
だったりする。

そもそも社会が求める評価なんてのは、一過性だったり幻想に過ぎないものだ。

今思えば不健全な価値の見出し方だった。

数字をもとめがちな時代


SNSの時代、声高々に発信をするインフルエンサーの目に見える膨大なフォロワー数とか、周りにいる人の年収とかとにかく目に見えるもので一喜一憂。比べがち。

そのなかで、
数字は客観的に見れるのも多いが、数字の低い自分に対して、
「生産性のない自分を価値が低い」というラベルを貼ってしまう人もいる。

だが、これはとても資本主義の悲しい一面として捉えてしまっていると思っている。
生産性ごときで、人の価値が推し量れるわけがない。

赤ちゃんを無価値と思う人は稀だろう。

ただ求めるだけで、よくに忠実で生産性のないその姿に無価値だと唾を吐く人はいないだろう。

他人に褒められようとするわけでもなく、
ただただいるだけで、
人を笑顔にしたり、勇気を与えている。

他者が生きていることが喜びと感じられるのであれば、自分についても生きていることがそのままで他者の喜びとなっているし、十分貢献しているのだ。



僕らは生きているだけで、それだけで意味がある。

僕らは生きているだけで、それだけで意味がある。

僕らは生きているだけで、それだけで意味がある。


1/7700000000の存在

そもそも価値は希少性ゆえ。珍しいほど価値が高いものだ。

僕らは誰として同じ人はいない。

だから、世界中の誰しも超絶価値がある。みな、等しく。


大事なものこそ目に見えない。

ぼくらは生きているだけで価値がある。


他者が生きていることが喜びと感じられるのであれば、自分についても生きていることがそのままで他者の喜びとなっているし、十分貢献している。


他人の評価なんか気にするな。あなたはあなたであるだけで大正解!

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