TMGE オン トップランナー
早いものでチバが永逝してもう1週間も経ってしまった。
「医学の進歩で治るガンもずいぶん増えたし今や40以上の高齢出産も多いし、半々ぐらいでどうにかなるんじゃ・・・?」という、現実を見て見ぬ振りをし気付いたときにはいつの間にかの原状回復、な僕の期待を無表情でスッと叩き割った10日前の訃報。鋭く貫くような字面トレンド「チバユウスケ」。そしてこれは20年ぶりの再放送ということで絶対に生で見たいがあまりセットした、いま不意に鳴ったアラームだった。まだ数分あるのに間違いたくなくて慌てて席を立ち、飲み物を用意してテレビを点ける。
放送するって言うからじゃあ見てやろうと思ってただけで特段前もって内容に期待してるようなことはなかったんだけど、見てると思いの外いろんな感じさせることがあってすごくいい放送だった。僕にとってね。
初っ端からスタジオライブ。ほんと若いときのチバを改めて見るけど顔面がもはや破壊的にいいと言うか、ロックスターに然るべきありとあらゆる要素を詰め込んでカンストさせた、これ以上がない完全無欠の”ロック顔面”だとしみじみ思った。
しかも目鼻立ちやパーツの造作とかに留まらず髪質までなんつうかあのイカツい顔にこれしかないって絶妙さで馴染む感じで息を飲むし、もっと言ったら「は?音に合わせて散々首振ってバラけた汗まみれの髪の毛先がそんな都合良く一番カッコいいとこに貼りつく??」という角度で毛先が都合良く貼りつくほど都合がいいから意味がわからない。大体、ツイッターでよく見る
「お、おんな・・・女の子という生き物は・・・う、生まれたからには一度は赤西仁みたいな男の人にめちゃくちゃにされたいと思う動物なの・・・」
という胸をつんざく女子の叫びがスマホの画面をよぎる度、「そこは赤西じゃなくてミッシェルチバくね!?」と俺の中のトータルテンボスが叫ぶのであった。
余談だが、当のライバルである浅井健一はどうか。非常に味のある顔をしてるとは思うがそれはあくまで音楽ありきであって、彼の作った音楽に何の魅力もない女性が見てポッとはしないと思うし、反対にベンジーの音楽が好きで好きでたまらないけどいろんな理由でどんな顔してるのか一度も見たことない人がようやく垣間見れたベンジーの顔がディーンフジオカだったら100年の恋も逆に冷めるだろう。逆に冷めるっていう冷め方があるのかよ!!!
まあ顔面の話はいんだけど、アベフトシがしゃべると「やっぱ九州のコンビニはポプラだよな」と思って声出してわらうし、クハラがウエノコウジをバンドに誘ったときの口説き文句「言っとくけど俺ら下北や高円寺じゃ言わせてるから( ・´ー・`)ドヤ」っていうフカシに「いるな~こういう奴(笑)」となり、音楽が好きな人間というのは音楽のこと以外はマジで適当なもんだよなあ、この辺の適当さというのはバンド系でもDJでも変わらないのが不思議だよなあ(´ー`)などと思ったりした。誰かと音楽のことで語らうなぞもう相当してないから、そういうことが久方ぶりに確認できただけでほんのりうれしいのサ。
クハラの帰郷によって一時的にバンドの存続が危うくなったくだりは「大卒の卒業前後はそうなるよねわかるわかる」と就職間際の大卒の若者的な文脈で共感したし、北海道から隔週でリハに来てたくだりも「おお、俺は福岡から日帰りで回したのは一度だけだったから完全に格上じゃないか。すごいすごいクハラ」となった。何様だよ(笑)すまんな(笑)
アベフトシが音楽との出会いを語るとこで「初めてこれぞロックンロールってリフが弾けたときは鳥肌が立って1週間ぐらいずっとそれだけ弾いてた」みたいに言ったときには4つ上のシンヤさんと「最初に機材揃えた日の夜は朝まで徹夜でタンテ触ってたよなwww」「間違いないッスwwww」って話で盛り上がったのを思い出したし、「いや~~こんなにいろんなことが脳ミソを駆け巡るとは予想だにしてなかったな~」とオモッタッラ再度スタジオライブ。
しかしほんと異様にカッケえなどうなってんだ。
これまでつらつら書きつつも僕は実はブランキー派で、チバではなくベンジーを偉大な詩人と崇める熱心な支持者で、ミッシェルは高校の2コ下のすごく太った後輩からアルバムを2枚借りてテープ録ったり、ライブの映像も一度もちゃんと見たりしたことはなかったりしてたぐらいだった。
え、なに?微妙に不自然な日本語で意味が上手く入ってこない?じゃあもう一度言うね?
ライブの映像も一度もちゃんと見たりしたことはなかったりしてたぐらいだった。大丈夫?
まあでも、言うまでもないことをわざわざ口にして申し訳ないが、日本のロックバンドが栄華を極めた90年代の、特に僕らが多感な15~20歳だった後ろ5年における有名な「ブランキーかミッシェルか」論争では僕の周りはほとんどがブランキー派で、↑の後輩もブランキーの勢いがあまりに強すぎるのが不満でどうにか理解者を増やそうとして自分から俺に勧めてきた感じだったのを憶えてる。チキンゾンビとカサノバスネーク。ちなみにその後輩が他に好きなバンドはKEMURIとヌンチャク。
ただ今言いたいのは、この領域まで突き抜けてしまったバンドは「好きじゃなくても見入ってしまう」んだよなあってこと。
芸事や美術を含めた世のほとんどの物事には「いいor悪い」の軸と「好きor嫌い」の2軸があって、だからこそ座標平面という数学の一分野を勉強することは(世界の現れ・表象を理解することに繋がるので)非常に有意義なのだけど、僕のように買ったアルバムは1枚もなく「なんかブランキーと違って9割ぐらい同じに聞こry」などと不埒なことを思っている”好き側ではない”人間からしても、ライブの立ち振る舞い1発で魅力をわからせて息を飲ませるぐらいの圧倒的さがあるのである。圧倒的すぎるので気付いたときには飲み込まれている。
「すげえかわいくて細くてお洒落で(100パ嘘だけど)週3で焼肉行ってめっちゃ食べます!って言うのに気取った感じもなくてどう考えても100点だけど別に1ミリも好きじゃない桐谷美玲」みたいなもんである。うるせえ県立千葉行ってろ!千葉だけに!(ゴッ寒[サム])
で武田真治とセッション始めてからも
「いや~バンドの人間じゃないからわからんがこういうセッションつうのはどういう意識でやるのかね?気持ちというか本能的衝動のまま走るのかorある程度立ち位置というか役割分担こなす的な責任感あるアレなのか。
いや~俺らみたいなDJ側の人間にはバンドのけいけ・・・あっちょ待ってあるわwwwwwww 留学生のローレンスとマットと3ピース(ドラム、ギター、ターンテーブル)やったわwww メロユニって学内サークルのイベントで演奏の機会もらったわwwwごめそごめそwwwww(・ω・)ノ」
となり、その時ぶり(21歳の時ぶり?)にそのライブでの機材セッティングの光景や練習で3人でスタジオに入ったシーンなどを思い出した。でそのとき演奏中どういう脳内だったかと言うと、確かにノリというか音楽を感じるままに擦ってて言葉に表現できない呼吸なようなものを感じ取っていたこと、ほんで逆に知らないベーシストが部室にきて何となく二人でセッションしたときには気マズすぎてグルーヴゼロ(もしくはグルーヴゼロすぎて超気マズい)となってその後の作り笑いが引きつりすぎてヤバかったな、などを思い出したりした。懐かしい・・・ローレンス元気かな、今もテネシー州にいるのかな。
みたいなことを思い出したりして疑問が解消していた。そして
911を受けて初めて私事私情ではなく世界情勢を歌った曲について武田真治にどういう思いでこの曲を作ったのか?と聞かれたときに、
チバが意味ありげにじっくり黙ってポツポツと言葉を絞り出してたときには「おいお前嘘つけよ(笑)こういう戦争や時事問題について世の大人に笑われない為にはなんて言ったらいいかわかんなくて深いところで考えてます風を装ってるだけだろ(笑)」とツッコんだし、ミッシェルのこういう抜けてるとこ、ダサいことに自覚がなさそうなとこ(誤魔化し逃げ切れたと思ってそうなとこ)を思い出してまたわらうのであった。
ベンジーのありあまる文学的才能・詩人としての資質に途轍もない影響を受けてるのは作品聴いてればすぐわかるが、あまりにベンジーになりたすぎて「なりたすぎるのが1ミリも隠し切れてなくてこれもう逆にアピール?なアルバム」を出してしまうのが最強にかわいいし、日本語ではカタカナをランダムに並べると文学性が生まれることを僕らは何となく知ってるけど、そのパターンを使いすぎたせいで歌詞見ながら曲聴いてると「あれ??もしかしてカタカナのレパートリーもう足りなくなっ(ry」みたいなとことか、なんつうかカッコ良さのみでバリバリ100点!!!じゃなくて微妙に笑えるとこと言うか遊びがあるのがブランキーにはない(欲しくない)魅力だった。何より、バンドとしてのトータルパフォーマンスは94点ぐらいあってリードマンもズブ濡れになるぐらい破壊的ハンサムなのにさすがに全項目満点というわけにはいかなくて肝心の文学的才能が78点ぐらいしかない、っていうのが面白すぎませんか?”わかってない奴って思われたくないので誰も指摘しない”という事実と合わせてね(´ー`)
予想外に楽しい放送だった。見なければ思い出してなかったような数々の記憶をどんどん矢継ぎ早に思い出せたし、ロックもテクノもヒップホップも、結構変わるけどあんま変わんねえなってのを思い出せたし、自分がスクラッチにアイディンディを抱いてることの確認もできたし、自分がICUで過ごした時間と仲間のかけがえのなさを改めて思い返せて今の自分の位置、人生の意味、これから何を大切にしていけばいいかと目標等について充実した解答と感情が受け取れた放送だった。NHKの人、いつも安倍晋三に絡めたデマばかり流してる分際で放送料は取ろうとしてて厚かましいけどこのトップランナーだけはありがとう。今日だけ感謝します。
ミッシェルを想い、曲をシャッフルでかけっ放しにしてる中でその夜との相性の良さに気付き、25年もかけて気付く最初その事実に、もう楽しみ尽くしたと思ってた音源から僕に一つ新たな面白さを25年越しに与えてくれる”音楽”というジャンルに、そしてこうしてその事をこうして淡々としたためる夜の美しさに、僕はまた泣いてしまった。