ネット上で数年来仲良くしてもらっ
る某教育者の人へのやり取りを見返してたら熱すぎて引いたので、「この引いた感じを」共有する。以下ㄟ( ・ө・ )ㄏ
ブログもですけど、僕はあなたのしてること(英語事業)はまったく以て画期的なものだと思ってます。ほとんど革命家と読んでも差し支えない。それほどまでに、”今まで日本になかったもの”を日本に持ち込み、(無意識的にであろうと)広めようとしてる人だと捉えてます。
再三ツイートで繰り返してますが、僕(ら)は中高で嘘デタラメで無意味なことを6年間も強制され続けました。
一切声を出さない中での「SVOやらカッコやら付けまくる漢文式返り読み」
「連鎖関係詞節の名詞的用法、などの無意味に難解な文法用語」
「インプット語彙とアウトプット語彙の区別なく日→英、英→日の両方を”適当に充てた機械的な訳語”でさせる丸暗記。そして成績評価に加味されるその無意味な記憶(どうせすぐ忘れる)の単語テスト」
「無味乾燥で、ストーリー自体がひどくまったく入り込めない退屈な教科書」
「2ページの文章を”長文”と扱う低レベルな英語運用観」
「訳読のせいで起こるlost in translationに無頓着な、日本語にできないものも含めて延々と日本語で訳を書かせる指導」
「問題集の解答にある訳例が日本語として破綻してて、かつ誰もそれを馬鹿げてると笑わず”正しい解答”としてありがたがる状況」など。
パッと思い出せないだけでまだまだ山のようにあります。
本当にこんなことで英語ができるようになるのか?意味があるのか?なんか違うんじゃないの?と(半ば直観的に無意味さを感じ取れて)半信半疑だった自分を、教師はろくに相手にしてくれませんでした。黙って言われたことをやれ、と。僕は持論を貫けるだけの説得力を持つような成績のいい生徒ではなかったので、そう言われてしまったらもう反論できない。勉強がすごくないから。渋々、「自分の力が低いからおかしく思えるだけで、どれもちゃんと意味、あるんだろうな。。」と、(間違った語学観にもとづいた学習内容ゆえ)こなすのが苦しくて苦しくてたまりませんでしたが、周りに従って言われたことに食らいついていきました。「これでもか!これでもか!負けないぞ!」と。でも、当然ですがサッパリ英語ができるようにはならなかったです高3卒業まで。センター模試で130点程度。それなりに時間かけて努力はしたので、ということは「頭が悪いんだろうな、才能がないんだな。。くそ。。。」って惨めでした。だって、ある程度才能あるんならあんだけ努力したら最低でももう少しはできるようになってたはずだから。「自分に才能がない」という事実を直で認め、受け止めるのは惨めで悔しかったし、辛かったです。
その後駿台で浪人し(その後ドラゴン桜の英語教師のモデルとなった)竹岡広信先生の授業を受けたときの圧倒的感動。それまで習ってきた無味乾燥で機械的な文字列ではなく、感覚や感情を乗せた“言語”として英語を教えてくれた最初の先生でした。全面的に信頼できる先生だと初回の授業で確信し、他のあらゆる教材や問題集など捨て1年間全乗っかりすると腹をくくり実際そうしました。
そして英語の盛んな大学へ進学し留学し、「本物の英語(=普通の英語)に出会ったときの、「自分が立ってる足場がガラガラ崩れ落ちて行くような感覚」は今でも絶対に忘れられません。「やっぱ中高で俺が思ってた疑問、なんか違うんじゃないかこれ」っていう直観は当たってたんだ!!!!!!俺が思ってた通りで正解だったんだ!!!!!クソ!!!クソ!!!!!ちくしょう!!!!その爆発的な喜びは今でも忘れられない瞬間です。
僕は本当に心から、僕と同じような思いをする子供をこれ以上増やしたくないのです。
英語が出来るようになりたい!
外国人と友達になったりいろんな洋楽をカラオケで歌いたい!
洋画やドラマをそのまま英語で見たい!
海外の大学へ行きたい!
その強い思いゆえに、授業の予習復習をサボらず真面目に聞いてノートを取り、学校・塾から出された課題は必ずこなし、教師の言われたことには一切刃向かわず素直に受け入れ、とにかく一心不乱にひたすらに努力を重ねる。相変わらずちょっとしたペーパーバックも英字新聞も読めないし映画もドラマも聞き取れないし外国人に道を聞かれても数語カタコトを返すのが精一杯。自分では「英語ができるようになってってる!」とは到底思えないけど、でもとにかく先生に言われた通り友達と遊びたい気持ちをこらえてがんばる。ひたすら。延々と。6年間も。
でもはい残念。今までやってきたことは全部デタラメでした。「英語ができない人たちが作ったカリキュラム」を「英語ができない講師・先生が教えてる」ので、正しいわけがない。正しいものができるわけがない。その正しくないプログラムを何千時間必死にやろうと身に付くわけがない。 でも国の教育のカリキュラムを作る文科省のエリート役人なのに、長いキャリアを持つ立派な英語教諭なのに「英語ができない」と思われるのは絶対に嫌だ。そんな惨めなこと、プライドが許さない。自分はすごい大人、すごい人間。そう思われて生きていきたい。だから絶対に「何十年やってきた日本のカリキュラムは素人の作ったデタラメでした」とは言わない。もし言ってしまったら自分の立場がなくなってしまう。だから変えない。ずっと間違った意味不明のまま。ということは当然、中学高校に通ってその授業を受ける生徒たちには犠牲になってもらうということ。「自分が知的でカッコよく立派な教師だ」と見られて生きて行きたいので、君ら生徒には「やったって英語なんかできるようになるわけないデタラメなプログラム」を、僕らの見栄と虚栄心を満たすためにこれからもこなしていってもらう。
こんなことが許されますか?これが教育のあっていい姿ですか? こういう醜い自己保身のために、生徒のひたむきな思いと純粋な努力を生け贄にする。自分のプライドを保持して「カッコよく見られるためだけ」に生徒をだまし利用し、途方もない時間を無駄にさせる。その無駄に終った時間のガレキの上に立ち、自分はさも立派な人間であるかのように振る舞う。ぼくはこういう卑劣で低俗で醜い、他人を自分の利益のために利用しても平気な人間がとにかく許せないんです。ぼくの高3卒業のときと同じ惨めで辛い張り裂けそうな思いを、もう他の「努力する子供」にさせたくない。
とてつもない長さになってしまいましたが、要はあなた方のやってることは日本のゴミ英語教育に一石を投じ、将来的に大きく変えていく可能性がある。それだけ途方もない実力者たちを集め、「正しく」英語ビジネスをやってる。「正しい英語教育とはこういうものだよ」と具体的に提示してって世に広め、日本人の語学に対する価値観を大変革させられることもできる。頑張ったのに報われなかったと泣く子供を何千人と減らせる。彼らに、僕らがそうであるように、「英語とともに生きる圧倒的に楽しく有意義な人生」を送らせることができる。ぼくが知ってる中で、そういう日本に変えてくれるのに最も大きく現実的な力とビジョンを持った人たち・会社であると思ってます。それゆえに、あなたの活動(=三本柱)を日常的に追ってるし「次は何をしてくれるんだろうドキドキ」と期待もしてる。英語教育の変革だけが僕の生きる上での関心のすべてではないですが、ことこの問題に関しては、ああなた方のビジネスの存在が大きな心の支えなのです。これからも応援してます。日本を変えてください。子供達を救ってあげてください。「SVOの入り組んだ英文に通底してる」と公言することで周りから尊敬を集めて悦に浸る、ゴミみたいな見栄を張る愚か者どもを駆逐してください。たのんます。
オレやで
いや~~~、「焼肉行ってカルビ食い過ぎた」みたいな感じになりますね💦胸焼けがエグい💦
以上レポッす。