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小説「わたし」 その1

「店長!」

懐かしい呼びかけに、私は思わず顔を上げた。そこは、かつて私が働いていた農産物直売所だった。

妻と一緒に、農協婦人会手作りの白味噌を求めてやってきたのだ。あの白味噌を年末に買って帰り、お雑煮に使って以来、妻はすっかりその味の虜になってしまった。毎年、同じ系列の直売所を巡っては、この白味噌を探し求めている。

「あら、店長、お久しぶりです!」

10年ほど前にこの店を辞めてから、もう随分と時間が経つというのに、ベテランのアルバイトの女性は、私のことを覚えていてくれたらしい。ありがたいやら、恥ずかしいやら。

「お元気そうで何よりです。奥様も、お変わりありませんか?」

彼女の声に、私は懐かしさと共に、一抹の寂しさを感じた。あの頃は、毎日顔を合わせていた仲間たち。アルバイトとはいえ、私よりも長く働いているベテラン揃いだった。

「ああ、元気だよ。君も相変わらず頑張っているね。」

私は、白味噌を手に取りながら、彼女との再会を喜んだ。同時に、過ぎ去った時間と、もう戻ることのないあの頃の記憶が、私の胸を締め付けた。

この農協との縁は、私が50歳手前で派遣社員として働き始めた頃に遡る。

それまで、私はSEとして40歳過ぎまで働いていた。しかし、胸郭出口症候群という病気を患い、キーボードを叩くのが困難になってしまったのだ。腕を上げると鎖骨と肩の間の血管と神経が圧迫され、脈が止まり腕がしびれる。通常の作業には支障がないものの、腕を長時間上げたり、肩が凝るような作業は難しくなった。ピアニストや指揮者、バイオリニストなども、この病気を患うことがあるらしい。

おそらく、プログラミングに熱中し、長時間キーボードを叩き続けていたことが原因だろう。時間を忘れ、夢中でタイピングしていたあの頃が、今では遠い昔のように思える。

会社を辞める時は、病名がはっきりせず、なかなか辞めさせてくれませんでした。有給休暇を申請しても欠勤扱いになり、給料から控除されるばかり。家内が会社まで手渡しに行くことになったのは、今でも悔しい思い出です。

病院でさえ「詐病」と診断されるほど、私の病気は理解されにくいものでした。

退職後、「教えることならできる」と考え、パソコン教室を開きました。当時は、政府がIT講習会を頻繁に開催していたので、その講師も務めました。小学校の先生にパソコンを教える「情報教育コーディネーター」としても活躍した時期もありました。

しかし、予算がつかず、その仕事も終わりを迎えることになりました。

仕事がなかった私は、どんなことでもするつもりで、派遣会社に登録しました。そして紹介されたのが、農協のライスセンターでの仕事です。

そこでの仕事は、お米を精米し、お米を使う事業所に配達することでした。電話で注文を受け、伝票を書き、精米済みの袋詰めされた米の種類の中から指定されたものを、注文数量分だけ届けます。そして、受け取りをもらい、決められた場所に積み上げます。

お米を精米する前には、「石抜き」という作業があります。30キロごとに袋詰めされた玄米を石抜き機にかけて積み上げる、という重労働です。

そんな日々の中でも、私はコンピュータに関する仕事をしたいという思いを捨てきれず、派遣会社に相談を続けていました。

その間も、私はスキルアップを怠りませんでした。デジタルカメラの操作やテクニックを学び、インターネットのホームページを作るためのソフト、「ホームページビルダー」の資格も取得しました。

数年後、ついに派遣会社から声がかかりました。大手企業のパソコン修理部門で、私の自作パソコンの技術が買われたのです。

もともと、コンピュータ技術はソフトではなくハードから入っていたので、パソコン修理は得意分野でした。

チャンスが巡ってきたことに、私は心の底から喜びを感じました。

インターネットについては、病気療養中の頃から将来性を感じていました。そこで、財団法人日本インターネット協会が認証している「インターネット利用アドバイザー」の試験に挑戦し、見事合格しました。試験は筆記試験と論文、そして東京での面接があり、どれも難関でしたが、乗り越えることができました。

ただ、この資格は更新料が年間1万円かかるため、現在は更新していません。後に取得した野菜ソムリエの資格も、更新料が高額だったため、更新を断念しました。とはいえ、資格は資格です。取得した経験は、決して無駄にはならないと信じています。

ライスセンターでの仕事は、後任への引き継ぎを終えたところで辞めました。自分が担当していた仕事の手順書や、配達ルートの順路マニュアルなどは、すべて私が作成しました。

パソコン講習会で使うマニュアルも自分で作っていたので、マニュアル作りには自信がありました。だからこそ、次の仕事にもスムーズに移行できるよう、準備万端で臨んだのです。

しかし、派遣先の大手企業からは、「年上の部下は必要ない」と断られてしまいました。

せっかくのチャンスを逃し、転職は叶いませんでした。

つづく

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