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性欲と自分の中の仏様

宗教は欲を抑えるイメージがあります。逆に欲を満足させる事で幸せを得ようとする宗教も存在するのです。「心の幸せ」は欲を否定も肯定もしません。欲は必要です。欲は満足する事はありません。

欲を満足させる事で得られる幸せは一時の事です。

性欲は子孫を残す本能ですが快楽を追求すると満足する事はないのです。
睡眠欲、食欲、性欲が人間と動物に共通する欲です。
その欲を満たす為に動物は生きているのです。
性欲を繁殖欲に置き換える事は間違っています。
なぜなら生きる事が目的ならば繁殖は必要ないからです。
繁殖は自分の肉体を残したい欲望です。繁殖だけが性欲ではありません。
もてたい。良く思われたい。愛が欲しいなど、人間関係は性欲で成り立っているのです。
この場合の性欲は広い意味を持っているのです。無人島に自分一人でたどり着いて自分以外の人が誰一人として生き残っていないとわかったならば、性欲があっても虚しいだけです。

性欲は人間関係がなければ成立しないのです。食欲も睡眠欲も満たされたならば幸せです。「心の幸せ」に気づくと安定した欲望の解消が幸せだと思うようになるのです。

安定するとは上下の振れ幅が小さい事です。いき過ぎた性欲も全くない性欲も「心の幸せ」を見失ってしまいます。

適度な性欲は「心の幸せ」を気づく事ができるのです。
適度な食欲、睡眠欲、性欲の生活が続く事が「心の幸せ」に気づく事です。適度、良い塩梅、程よい欲の制御を学ぶのが幸せになる事だと思います。

人間は仏様にはなれません。ロボットになってもいけません。人間らしく他の動物とは違うのは「心の幸せ」に気づける事です。