誤解とは
誤解とは情報不足から起こるのです。
わたしを誤解してはいけません。素直にわたしを信じましょう(笑)
という言葉が一番怪しいのです。わたしは、エッセイを書くエッセイストなのです。
エッセイとは、随想です。書式が決まっているわけではなく自由なのです。
写真も動画もイラストも文章も自由な書式で自分の気持ちを伝えているのです。
「つれづれなるままに」で始まる徒然草は、吉田兼好さんが鎌倉時代に書いたとされていますが、昔の事なので真実はわかりません。
江戸時代に教育本として読まれたいたようで、随筆(エッセイ)とは、「世の中の間違いを叱り飛ばす」と誤解されているのは、教科書になってしまったからでしょうか?
わたしは、エッセイで自分の気持ちを伝えているのです。「やる気がない人に応援はしない」と伝えるとどう思われるかわかっているのです。
誤解されないように伝えるのが、エッセイストとしてのポリシーです。誤解を恐れています。批判しているのではありません。やる気がない事を批判しているのでは無いのです。
やる気はあるができない人を応援したいのです。
やる気を失くさせる人を非難したいのです。
誤解しないで欲しいのです。自分が応援して欲しいから応援しているのではありません。やる気を奮い立たせてあげたいのです。やる気のある姿を見たいのです。わたしのやる気を失くさせた人に復讐をしたいのです。
応援してくれないだけでなくやる気を失くさせた人に気づいて欲しいのです。その行為がどれだけの人を失望のどん底に落とし込む事になるのかという事を知って欲しいのです。
やる気を失くしかけた人に言いたい。
わたしが応援します。
フレーフレーあなた。
人のやる気を奪ってはいけません。奪っても自分の物にはなりません。
「やる気」は、伝染するのです。応援して「やる気」が膨らむとよく見えるのです。よく見えると伝わってくるのです。感動となって伝わってくるのです。
誤解しないでください。応援してあなたと感動を共有したいのです。