思いやりのない人
思いやりのある人以外は思いやりのない人です。
わたしは思いやりがない人です。
思いやりのない人と思いやりがない人の違いは思いやりと人のどちらに重点を置いているのかの違いです。
思いやりのない人の場合は思いやりに重点を置いています。
思いやりがない人の場合は人に重点を置いているのです。
どちらでも良いのですが、今回のタイトルは思いやりに重点を置きたかったので思いやりのない人としました。
タイトルに濁音がない方が読みやすいという理由もあるのです。
読者に対して思いやりの気持ちがタイトルにも表れているのです。
なぜ、わたしは思いやりがないのでしょうか?
それは思いやりが身についていないからです。
思いやりが身についていると思いやりに気づくことなく自然に行動が思いやりのある行動になっていたと思うのです。
わざわざ、「思いやりとは」などと思う事はないのです。
身につくと忘れる事も思い出す事もなく自然と出てくるのです。
その人の身についている事は自分では気づかず、他人に指摘される事もなく個性だと思われてしまうのです。
ですから思いやりがなく、自己中で、わがまま、さらに意地悪、愚痴ばかりこぼしては悪態をつく事が身についていても本人は気づかず、他人に指摘される事もなくわからずに一生を過ごしてしまうのです。
なんとわたしは不幸せなんだろうと思っても幸せに気づかず素通りしてしまうのです。
この記事を読んだ人は、小さな幸せに気づいて欲しいと思うのです。