自分がされて嫌な事は他人にしない。
自分がされて嫌な事は他人にしないと言うのが母親の口癖でした。だからいじめられても他人をいじめる事は無かったのです。いじめられる事が嫌では無くなった時から他人をいじめる事はよくある話です。
親からの暴力が当然だった教師は、愛の鞭だと生徒に体罰を与えるのです。暴言を吐く上司は自分も上司から鍛えられたとパワハラを指導だと思ってやってしまうのです。
自分がされても嫌だとは言えなくて次第にそれが普通の事だと思ってしまうのです。自分がされても嫌だとは思わないから他人にしてしまうのです。
子供を守る為に最初にすべき事は、嫌な事を嫌だと言える子にする事です。嫌な事を押しつけて我慢させる事を教えるのではなく。好きな物、興味を持った物の疑問に答える事です。
なぜ、自分が嫌だと思ったのか?その理由を聞いてあげる事も必要です。一方的に指示するのではなく、子供を納得させる事が大事です。
大人にその力があるでしょうか?大人は子供を納得させる為に学ぶのです。
大人が子供を納得させない指導で自分の思い通りに動く子を良い子だとしたならば、指導者が間違っても良い子はその通りに動く事になるのです。
良い子ばかりの社会で指導者が間違っていたら、誰が指摘できるのでしょうか?
学校が子供に納得させない教育をし続けたら良い子、悪い子、普通の子に人を分類して悪い子を普通の子に、普通の子を良い子にするのが教育だと勘違いしないでしょうか?
子供を育てるとは、子供が自立できるようにする事です。
社会貢献するのは、自分を守る為です。自立とは、社会貢献できる状態をいうのです。世の中には弱者が沢山います。その弱者を助ける事が社会貢献です。
自分の好きな事を好きなように働いて嫌な事は他人にさせる事を学んできた高学歴もどきの社会人は自立を「嫌な事を他人にさせる」事だと思っているのです。
本当の自立は「自分一人では生きていけないから、他人と協力しあって自分の得意を磨き力を発揮する事」です。自分の力が発揮できなくなった時のために保険があるのです。
今困っている人を助けて将来に繋げるのです。弱者を救わない社会に未来はありません。自分がされて嫌な事がわかっていないと他人にしてしまう事で正当化するのです。
嫌な事を嫌だと言える教育は家庭でしかできないのです。嫌な事の理由を聞く事も家庭でなければできないのです。納得して嫌な事を克服するのか、もしくは嫌な行為を他人が与えたならばその嫌を返す手段を教えるのです。
意地悪婆さんは、他人に意地悪をしているのでは無いのです。意地悪をされた人の代わりに意地悪を返しているのです。一休さんは、とんちで悪知恵を返しているのです。
他人の名前を騙るなりすましは、自分では無い人が自分だと思わられるのです。偽ブランドは築き上げた信用を盗まれるのです。偽キャラクターも信用が盗まれたのです。自分は嫌では無いからといって他人にしてはいけないのです。
自分がされて嫌だと思わないのは自分には信用が無いからです。他人の名前を騙るのは盗まれる自分が無いからです。お金を盗まれても嫌だと思わないのは自分も盗めば良いと思っているからです。
戦争で人が死にます。建物が破壊されます。真底嫌だとは思っていない人がいるからです。
やられたらやり返す。
その考え方が間違っているのです。他人が嫌がる事を聞く、他人が嫌がる事をしない。弱者ならば助ける。自分も困ったならば助けてもらう。
対話と行動が平和を作るのです。