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プラトニックラブ

良いことをしたからと言って良い人生になるとは限りません。なぜなら自分の価値観に正直に生きたならば他人の評価は気にしなくて良いからです。悔やんで良いのは良い人生を送れなかったではなく、自分の価値観に外れたことをしてしまったことです。

「良い人生」の定義は人それぞれであり、必ずしも善行の積み重ねによって得られるとは限りません。自身の価値観に基づいて誠実に生きることが、後悔のない、そしてその人にとっての「良い人生」につながるのではないでしょうか。

他人の評価に左右されることなく、自身の価値観に忠実に生きることは、時に困難を伴うかもしれません。しかし、その生き方こそが、自分自身を深く理解し、真の幸福を見出す道なのかもしれません。

「良い人生」を送れなかったことを悔やむのではなく、自身の価値観に反することをしてしまった自分を悔やむことこそが、より良い未来へとつながる一歩となるでしょう。

これから先は物語です。

幼い頃から母子家庭で育った私、陽子は、心の奥底に拭えない寂しさを抱えていました。友達が両親揃って遊園地に行ったり、誕生日には盛大なパーティーを開いてもらったりするのを横目に、「私には半分しか愛情がない」と、まるで欠けたパズルのピースのように感じていました。

母は、昼夜を問わず働きづめでした。スーパーのレジ打ち、早朝の新聞配達、時には近所の家の掃除まで。疲れ果てた様子で帰宅する母を見るたびに、私は「私がもっとしっかりしていれば…」と自分を責めました。

家計を助けるため、私は幼い頃から家事を手伝い、弟や妹たちの面倒を見ました。

しかし、母には秘めた夢がありました。それは、たくさんの子どもたちに囲まれ、大家族で助け合って暮らすこと。その夢を叶えるため、母は時に許されない愛に身を委ね、次々と子どもを産み育てたのです。

母の恋人たちは、皆、家庭を持つ既婚者でした。母は、彼らからの経済的援助を受けながら、私たちを育てていきました。

私は、新しい弟や妹が生まれるたびに、複雑な感情を抱きました。母が私だけを見てくれない寂しさ、そして、大家族になることへの期待。母は、私を含め、すべての子どもたちを平等に愛そうとしました。

しかし、その愛情は時に薄れてしまい、私は孤独を感じることがありました。特に、新しい弟が生まれた時、母は彼ばかりを可愛がり、私はまるで空気のようになってしまったように感じました。

そんなある冬の日、母が突然倒れて入院することになりました。原因は過労でした。私は病院のベッドで横たわる母の姿を見て、初めて自分の無力さを痛感しました。同時に、母がいなくなってしまうかもしれないという恐怖に襲われました。

不安と恐怖で押しつぶされそうになりながらも、私は毎日学校が終わると病院へ駆けつけました。母は、点滴の針が刺さった腕で私の頭を撫でながら、「ごめんね、陽子。心配かけて…」と弱々しく微笑みました。その笑顔は、まるで太陽のように私の心を温めてくれました。

ある夜、私は母のベッドの脇で眠り込んでしまいました。目を覚ますと、母は私の手を取ってこう言いました。「陽子、あなたは私の宝物。たとえ私がいなくても、あなたは強く生きていける。あなたはたくさんの愛に包まれているのよ。」母の言葉は、暗闇に光を灯すように、私の心に深く刻まれました。

退院後、母は以前よりもゆっくりとしたペースで働くようになりました。そして、それまで以上に私との時間を大切にしてくれました。一緒に料理を作ったり、近所の公園を散歩したり、時には夜更かしをして語り合ったり。母は、私が抱えていた寂しさや不満に耳を傾け、心から謝ってくれました。

母は、私が学校で良い成績を取った時には心から喜んでくれました。友達と喧嘩をして落ち込んでいる時には、優しく話を聞いてくれました。私が将来の夢について語ると、目を輝かせて応援してくれました。

そんな日々の中で、私はあることに気づきました。愛情は量や質で測れるものではないのだと。たとえ複雑な事情を抱えていても、深い愛情があれば、子どもは幸せに生きていけるのだと。

私は母の深い愛情に支えられ、少しずつ自信を取り戻していきました。そして、結婚を機に、私は家を出て、新しい生活を始めました。しかし、それと同時に、母が夢見た大家族での暮らしは、幻のように消えてしまいました。

弟や妹たちは、それぞれ家庭を持ち、母のもとを離れていきました。母は再び孤独な日々を送ることになりました。

それでも、私は母からもらった愛情を忘れることはありませんでした。大学で心理学を学び、卒業後は児童養護施設で働くことを決めました。そこで出会った子どもたちは、様々な事情を抱えていましたが、みんな愛を求めていました。私は、母からもらった愛情を、今度は彼らに分け与える番だと感じました。

私は、子どもたち一人ひとりと向き合い、彼らの心に寄り添いました。一緒に遊んだり、勉強を教えたり、時には悩みを聞いたり。そして、いつも笑顔で「あなたは一人じゃない」と伝えました。

そんなある日、施設を巣立った一人の青年が私に手紙を送ってきました。「先生のおかげで、私は愛を知ることができました。そして、今度は私が誰かを愛していきたいと思っています。」その手紙を読んだ時、私は涙が止まりませんでした。

私は、母からもらった深い愛情のバトンを、次の世代へと繋いでいくことができました。そして、これからも、愛を必要としている人たちに手を差し伸べ続けていきたいと思っています。

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