承認要求
承認要求とは、他人に認められたい又は自分で自分を認めたい欲求です。
欲求を無くす事はできませんが、バランスを取る事はできます。
過度にならず囚われずにはどうすれば良いのでしょうか?
だれにでも承認要求があって、無くす事はできないのです。
誰かに認められていると思うから承認要求を感じないだけなのです。
わたしはあなたの存在を認めます。間違いなくあなたはそこにいるのです。
一生懸命生きているあなたを知っています。なぜならこの文章を読んでいるからです。
承認要求がなければこの文章を読む必要はないのです。
共感できると思うから読んでいるのだと思っています。
わたしに認められても「屁の突っ張り」にもならないと思っていらっしゃるでしょうが、わたしも「屁を突っ張った」事はありません。屁はガスですから突っ張る事はできません。
あなたの代わりに屁をこくこともできません。
正しくは屁を放る(ひる)というらしいのですが、ピンときません。
自分の存在を認めて欲しいのならば、屁をこけば良いのです。
音がでて匂いもして、あなた以外は「自分が屁をこいた」とは言わないでしょう。
いつでも自分の存在を認めさすことができます。出世して、金持ちになって、有名になって、本を出して認められるのも、「屁をこく事」と一緒なのです。
正直に自分ができる事をしていれば良いのです。屁を我慢して自分の存在を隠しているのと有名にならないように派手な事をしないのとは一緒なのです。
屁をこいてまで承認要求を満たしたいのならどうぞ「ブー、ブーブー」としてください。それで、誰も関心を持ってくれないのは、普段から屁をこいているからなのです。
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