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「利用された」と「頼られた」と「助けた」の違いは、対価に対する考え方の違いです。今日の写真は白浜アドベンチャーワールドのイルカショーです。

利用されるのは嫌です。頼られて行うことには対価が払わられるのです。信頼や金銭などの対価がもらえるのです。利用する人は対価を払いません。

依頼される前に困っている人を助けた時は対価を期待してはいけません。
褒められたい、感謝されたいと思って助けるのは間違っています。

仕事は困っていることに手助けをして対価を貰うことです。
困るを作って仕事にするのは詐欺と同じです。

困るは気づくもので作るものではありません。対価は金銭だけでは無いのです。感謝されたり喜んで貰えたりすることで自分の心が満足することも対価になるのです。

利用して対価を払えば対等な行為ですが、金銭も感謝の気持ちもなく得をしたと思うのは如何なものでしょうか?わたしの著作物や能力、アイディアなどを利用して良い思いをした人は対価を払うべきですが、フォロワーさんの大多数は感謝の気持ちも無いのです。

わたしはプログラマでしたので沢山のプログラムを作って対価をもらっていたのですが、わたしのソフトを他の会社に無償で提供して、他人が作った使い物にならないソフトを押し付けてくるのです。

バグだらけのソフトを解析して使えるようにするには時間がかかるのです。
もちろん赤字ですから対価は支払われることはありません。利用されて捨てられるのです。

孫のためにおもちゃを買うのは喜んでもらうという対価がもらえるからです。お祝いをするのも喜んでもらったり感謝される対価があるのです。

行政サービスを「税金を払っているから当然のことだ」と感謝も喜びを伝えることなく受けるのは間違っています。自分が支払った税金以上のサービスを受けているのです。

行政サービスに見合った対価(金銭)を行政も住民も求めるから心が満足するサービスにならないのです。感謝の気持ちと喜び、幸せを分かち合う気持ちがお互いに無ければバランスが崩れて争うことになるのです。

日本国憲法で国民が幸せになるように、文明的な生活が保障されていても心が貧しければどのようなサービスを受けても貧乏は続くのです。

#エッセイ #一万個の幸せ #パンダのポッさん