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私の仏様

一人一人の人の中の仏様。

自分の中の仏様は、何も語りません。語っているのは自分の中の私。
仏様の代弁ができるとは思っていません。

ただ、自分の中に仏様が居てその仏様がどのように思うだろうかと想像したら自分を客観的に見つめる事になるのです。

仏様は比較をしません。仏様は何もしません。仏様は笑っているのです。
仏様は欲がありません。食べる事も寝る事も遊ぶ事もしないのです。
人は仏様にはなれません。仏様と人を比較しても何も得る事はありません。

人がお金を欲しがるのはお金があれば自分の欲望が叶うからです。欲を満たす事ができるからです。睡眠欲、食欲、性欲が動物の3大欲求です。本能として持っているものです。

安心して眠れる住居、安定して食べる事ができる財力、性欲は存在要求ともいえます。承認要求は身分、地位、権力などを欲しがるのです。

生きる為にはお金が必要です。お金がなければ住む家も食べる物も無いのです。仏様に欲望が無いのですからお金は必要ありません。お金が必要なのは生きている人間だからです。

人は仏様にはなれませんが、ほとけさまという「心の幸せ」に気づく事が暴走する人間の欲を制御する事になるのです。人は罪を犯してしまいます。

罪を償わなくても、幸せな人はいます。罪を償っても不幸せな人がいます。
仏様は罪を償わない人には「心の幸せ」を気づく事が無く、罪を償った人には「心の幸せ」を気づかせてくれるのです。

お金に纏わる話で、財産だけを継いだ家は3代で使い切ってしまいますが家訓も継がれて守られていると長く財産が守られます。それは家訓という仏様が居て見守られているからです。仏様の存在に気づかず自分の欲望を満たす事が幸せだと思うと「心の幸せ」も気づかないのです。

誰もが薄々気づいている「自分の中の仏様」の存在は恐れる物ではありません。悪い事をしたからといって罰を与える存在ではないのです。「心の幸せ」に気づいていれば悪い事にはなっていないだけの事です。

出来心は「心の幸せ」に気づいていれば防げるのです。ついうっかりも防げるのです。「心の幸せ」を意識する事を仏様は教えてくれているのです。

仏様を信じて願いを叶えてもらうのではありません。仏様の願いを叶えるのは私達です。

仏様の願いは私達が幸せになる事です。仏様の願いを叶えるためにはどうすれば良いのでしょうか?

今日、幸せであれば良いのです。明日はわかりません。借金の返済日が明日だとしたら明日返せなければ今日は幸せでは無いのです。明日の事がわからないから借金が返せなくても今日は幸せだと思うのは「心の幸せ」ではないのです。

明日の幸せの為に今日は頑張ってみようとするのは「心の幸せ」を感じるのです。

仏様は「心の幸せ」を約束してくれています。その事に気づいて欲しいと願っているのです。


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