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誤らない為には正解がわからなければなりません。
正解がわからなくて動く事ができないのならばいつまでも動く事ができないのです。
正解がわからないが、動かないといけない時にどうすれば良いのでしょう?
答えのない問いに答える事と同じです。
暗闇をあなたは全速力で走れますか?
コースがわかっていて、障害物がなく、ゴールに到達した事がわかって止まれる事がわかっていれば全速力で走れます。
目も見えず、耳も聞こえず、匂いもわからず、口にする事も触ることもできない状態で暗闇に放り出されてしまった時に何を頼りに動けば良いのでしょうか?
今は、目が見えて、音が聞こえて、触ることも匂うことも口にすることもできますが、人間は、暗闇から始まっているのです。本当に見えていますか?聞こえていますか?
見えるものが事実だとなぜ思うのでしょうか?
聞こえたものが事実だとなぜ思うのでしょうか?
事実とはあなたとわたしが共通の認識になって初めて事実だと言えるのです。
あなただけが知っている事実は事実ではありません。
誰かに伝えて共通の認識が持てた時に事実になるのです。
たとえ嘘であっても事実だと認識すれば事実になるのです。
後日、嘘だと認識すれば事実から嘘に変わるのです。
そのようなあやふやな世界で、正解がわからなくても動かなければならないのです。
そんな時は、慎重に歩みます。
手探り、足探りして自分で確かめて納得して歩むのです。自分の歩んだ道を繰り返し繰り返し歩んでいたならば、道を覚えて早歩きから全速力で走る事ができるようになるのです。
手探り、足探りするとは学ぶ事です。学んで正解を認識して過ちは訂正すれば良いのです。
初めて歩む道を全速力で走ると転ぶのは当たり前の事です。
自分が歩いている道と他人が歩いている道は違うのですから他人を全速力で走らせる事はできないのです。
自分も他人も暗闇にいて手探り、足探りしていると知る事が思いやりです。
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