ほめられたい
喜んでもらいたい。ほめてもらいたい。感動してもらいたいと思うのはなぜ?それは自分が気分良くなりたいからです。
気分良くなりたい事が自分のするべき事だと思ってしまうと自分が中心の考え方になってしまいます。ノーベル賞をもらうために研究すると目標を立ててしまうと自分のするべき事が評価されるように結果を出す事になってしまいます。結果が評価で左右されてしまいます。結果がどうであれ受け入れなければなりません。原因がどこにあるのでしょうか?自然の摂理に沿って自分は理解できているのでしょうか?
研究開発は評価で見るのではなく、結果で見るのです。
ほめられるのはは叱られるの反対です。叱られてもやるべき事がわかっているのならばやるべきです。感謝されるのは邪険されるの反対です。邪険にされてもやらなければならない事はしなければなりません。
結果がすべてです。結果は今の結果であって明日の結果ではありません。
今の結果で次のするべき事がわかるようになります。
損得勘定をしなくても良い環境になってから尊徳感情になれるのです。
お寺で修行するのは食う寝る住まいがあるからです。お寺が損得勘定で運営されたならば徳を積む事などできません。葬儀などを宗教で賄うのはお寺を存続させる手段です。
冠婚葬祭を損得勘定で評価してはいけません。
損得勘定で生きている人には尊徳感情で生きる人を評価できません。
誉めたり、貶したりするのは損得勘定をしているからです。
損得勘定しかできない人はいません。尊徳感情が大事だと知っているのです。知っているけど身についていないだけです。悩んだ時に思い出せば良いのです。
誉められたいと思った時は尊徳感情を思い出しましょう。