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昭和史に消して残らないpan.の物語2

タスクシュート認定トレーナーのsugamariさんと
コメント欄で一緒に自分史投稿をやろー!と盛り上がったのが
先週の話。

私の第一弾の投稿を待って

sugamariさんも一回目を投稿された。


そして今回は第二弾。

二階から飛び降りた坊ちゃんにインスパイアされて(嘘)
屋根から卵を投げる反抗期を経て
中学に入学した私の
その後の物語

pan.部活やめないってよ、のお話 ←朝井リョウをリスペクトしている


中学時代のバスケット部の顧問M先生は
若くて独身の体育教師
たまたま中1のときのクラス主任で
教室でギターを弾きながら
『22歳の別れ』(byかぐや姫)を歌うような熱血(?)教師だった。

思い出はたくさんあるが
その中に
今となってはありえないエピソードもある。

海沿いの学校だったこともあり
よく 足腰の鍛錬のために砂浜を走らされた。
砂浜を走った経験がある人ならわかると思うが
大変にキツい。
ある日
私たちはM先生が会議でいないことをいいことに
懸命に走ることをしないで
だらだらと走っていた。
いや、ひょっとすると歩いてたんだったかもしれない
そこら辺の記憶は定かではない・・・

そしてそれがM先生の知るところとなる。


M先生は
体育館に帰った私たちを横一列に並べて
端から順にビンタを食らわせていった。

その痛さは今でも覚えている
と言いたいところだが
どんな感覚だったかなんて3日で忘れた。
けれど
今なら許されない 体罰案件で処分ものだということも含め
ビンタを食らった(しかも全員)記憶だけが残っている。

だからM先生のことが大嫌いだった
という結論になるかというと全くそうでなく
M先生は私にとって生涯で一番の恩師だと思っている。

熱血M先生の指導の甲斐があり
我が女子バスケット部は
県下2位という成績をおさめるまでの強豪となる。
ちなみに1位の学校にはめちゃくちゃ背が高いセンターの女子がおり
彼女はプロ選手になった。

入学当初130㎝程度だった私の身長は
日々の走り込みとジャンプのおかげで3年間で160㎝を超えることとなる。
なのでバスケット部に入ると背が伸びるというのは私の中では経験から導き出された真実だ。

背が低いころは試合に出る機会もそれほど多くなかった私だが
身長が伸びるに従い
シュートがなぜかよく入るようになり
私たちの代になるころには
ポイントゲッターとしてスタメン入りすることになった。

私にやたらシュートタイミングでボールが回ってくるので
ドキドキしながらシュートを打つのだが
うまい具合に入ることが多く
自分の予想を超えた活躍に
戸惑うことの多い毎試合だった。

中3の秋季大会を最後に引退するまでの間
スタメンとしてプレイしたことは
その後の大きな自信になったと今でも思う。

もう 屋根から卵を投げた反抗期の私ではなく(このエピソード擦りすぎ)
たくましい女子中学生に成長していた。←ひとごとかよ


ということでたくましい女子中学生の物語は次回に続く


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