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最近の自分の氣づき(親子関係から)

#のびフェス のあと、
またしても蠍座(月牡牛座)長女と山羊座(月さそり座)の次女からの
もろもろや、Twitterで運命の人認定された
さきさん(@k7g11m3 インスタはこちら@saki.nz11) とお会いして、
5時間話して、色々と自分の中身について考えや氣づきがあった。

「すべては自分が選んでいる」

「すべては自分が選んでいる」に立ち返り、
それは私にとってどんなメリットがあるのかな?
と、みてみたり。
小さいところでいうと、
こんなに色々大変だから➔甘い物くらい食べてもいいじゃん
こんなに色々大変だから➔家事が行き渡らなくてもいいじゃん
こんなに色々大変だから➔子どもと遊ばなくてもいいじゃん
など。
大きいところで言うと、常識の変化、だろうな。

最初は、長女の「学校休みたい」から始まった。
1年くらい前は、長女が朝休みたいと言うたびに、
自分がイライラして、ざわざわして、何で?!?!と号泣するときもあった。

その当時はきっと、邪魔されてる・また母に頼むのか。。。
というのが強かったと思う。
学校で何かあったのかなとか、最初は思ってたけど、
休みたいが重なると、何で?!?!という方が大きくなってた。
長女キレる、私もキレる、、、疲れるみたいな。

それも、次女が生まれてからの長女の嫉妬が激しすぎて疲弊していた
のもあるのだろう。
長女に対しての閾値が低くなってるというか。

あるとき、
「なぜ私は長女が学校を休むということにこんなに抵抗があるのだろうか」
と、ふと思った。
仕事があるから、昼ご飯どうするか、母にお願いしなくちゃ。。。
そこから、私の頭は変わっていった気がする。

仕事、好きだし休みたくない➔お客さまに迷惑かけたくない➔予約が入ってなかったらいいか➔外で働いている時は母に預かってもらえるか聞く➔
あ、お昼ごはん作らなくちゃ。。。➔休んでてカップラーメンって➔
母は子どものことをしっかりやらねば。。。

「あ、母に「また休ませて」と、私が言われるのが嫌なんだ」と氣づいた。
休ませたくて休ませてるわけじゃないし、
私だって、学校行ってくれてる方が楽だし。
なんで言われなきゃいけないんだろう?! 
私が何か言われるのが嫌なんだな。と。

それから少しずつ、これは長女のことであって、
私のことではない。私が否定されてるわけではない。
「私が休ませているわけではない」と。

あ、私自分が否定されてる、と思ってるんだー。と。

学校に行くという普通の生活、ではないことを私が望んでいるのかな?
特殊な状況を送りたいのかな。
長女のあれこれから、以前の自分の当たり前が崩れて、
多様性ということを現実的に考えるようになった。

何が一般的で、普通で、当たり前なのか。

自分の中の母親像

そして、母はご飯をきちんと作らなければ。
朝起こさなければ。夜は早く寝かせなければ。
家族のために忙しく動くのが当たり前。。。
まだまだいろんな母親像が私の中にはあるんだろうな。

さきさんが
母は、「長女が学校に行かないと私が大変なんじゃない?」と思って、
言ってるだけかもしれない、ということ。
私フィルターの眼鏡を母が発言してきてるかもしれないと。。。

盲点。

私が思っていることを、手紙も書いたし、
学校行けとはもう言ってこないんじゃないかと思ってたけど、
まだ言ってくる。
それは、私が徐々に変わってきたように、母もまた
自分の常識と全く違うことを言われてるんだから、
変化だって徐々にだよね。

宇宙の采配にまた感動

中小企業のOLから、アーユルヴェーダセラピストになって、
いろんな世界を知って、独立して、
周りにいろんな種類の人がたくさんいるようになった。

そうやってグラデーションしながら、
意を決して、常識への変化が訪れているのかもしれない。

宇宙の采配って、すごい。
そういうアーユルヴェーダや宇宙の理に触れ、
ことの大きさに感動する。

取り留めなくなったけど、こうやって、
徐々に、行きつ戻りつしながら進んでいくのかな。

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