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HIYORI BROT 塚本久美さんに憧れてパン職人になった私 その五


これまで塚本さんと共通する部分を述べてきたが、異なる部分ももちろんあった。
決定的な違いは行動力や覚悟だった。

彼女は超がつくほどの有名店「シニフィアンシニフィエ」志賀シェフの元へ弟子入りをしたのだが、私は有名店への弟子入りにどうしても抵抗を感じてしまった。それは転職を考えている当時、独立は将来の働き方の一つとして視野には入れているけれど、必ずと思うまでではなかったからというのも理由にあった。
また、お世辞にもメンタルが強い方とは言えない性格という自覚があったので、いきなりほぼパン作りに関しての素人が、有名店の優秀なパン職人の方々と一緒に仕事をして、ついていける気がしなかった。

こういった考えは「逃げ」と言うのだろう。だが、私には私の考えがあって、リスク回避という意味の「逃げ」を選んだ。
いきなり有名店への弟子入りはとてもリスクが高いと考えていたからだ。有名であればあるほど、仕事の質は高いものを求められ、その雰囲気に浮いてしまったらお終い。せっかく有名店で働くことができても、パン作りの一切を辞めてしまっては意味がない。そうするよりも、自分のペースで少しずつパンのことを知って、一つずつ覚えていく方が、成長速度は遅くてもより確実だと思っていた。そして、一通り基礎を身につけた上で、もっと経験値を上げたいと思ったら、自分が働いてみたいと思えるお店で働く。その方が直ぐに辞めてしまうリスクも低くなり、自分もストレス無く働けるのではと思っていた。甘えた考え方ではあるが、こういうやり方の方が私には合っていると思った。

そうして私は地元の福岡県へ戻り、とある田舎のパン屋で働くことに決めた。
私が選んだお店は、知名度で言えば、地元でパン好きな人ならおおよその人が知っている、くらいのお店だった。
そのお店に決めた理由は、殆ど直感に等しく、言葉で具体的に説明しろと言われると少し困った。もし言語化するなら、「私もこんなパンを作れる様になりたい。」そう思ったから。
そして、そのパン屋がある場所が、私にとってとても魅力的だった。観光地として有名で、海と山に囲まれ、自然が豊かな場所であった。また、時間はある程度かかるが、都会までのアクセスも良い方だと言えた。田舎が好きで、都会ではなく田舎に住みたい、だけどたまには都会にも出かけたいと思っていた私にまさにピッタリと言える土地だった。
とは言っても1番気になるのは労働条件や、人間関係だと思うが、これに関しては募集要項でわかる部分もあるが、働いてみないとわからない部分がほとんどだ。だから、「ここならきっと大丈夫だろう」という根拠のない直感に頼るしかなかった。
そんなもので決めて大丈夫?と思う方もいるだろう。しかし、昔からなんとなく直感は優れている方で、私にとって直感は、様々な物事の大事な判断基準の一つだったし、優柔不断な私をこれまで助けてきた。だからこの直感にまた委ねてみようと思えたのである。

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