池袋グルメ飯(ハン)ターMの話
池袋の話が続いているので今日も池袋の話をしようと思う。池袋から伸びる電車の沿線に住んでいたこともあり、池袋は幼少期からスペシャルな街だった。デパートを母と闊歩しながら美味しいものが食べれるそんなおめかしが必要な街だった。
街を見る目が
少し大人になり中高生になると池袋は学校帰りに、週末に、遊ぶ街となった。時間が経ちおめかしは必要ない、いつもの街となったのだった。池袋の駅周りはほとんど遊び尽くしたと言っていいほど広範囲に足を運び新しい遊び場所を見つけていたあのパワーは当時を振り返ってもすごいと思う。
Mの庭、池袋
中高時代の友人で池袋を知り尽くしていた女がいた。それがMだ。Mは池袋に関してはなんでも知っており、定番はもちろん穴場までカバーする超人だった。
そんな彼女はいつも「池袋は庭。」と言い、私ら友人をいろいろなところに連れて行ってくれた。特に土曜授業の後のランチは彼女が連れて行ってくれた場所がほとんどで、そのレパートリーの多さにいつも驚いていた。
出汁が効いているスンドゥブやバリカタ必須のとんこつラーメン(もちろん替え玉あり)、ごはんおかわり自由のとんかつ屋。彼女が食べさせてくれたものはどれもこれも美味しさまで鮮明に覚えているのだった。
初めて食べるものもたくさんあった。ペッパーランチなんておいしさの革命だったし、ねぎしに一緒に行った時はオシャレでドキドキした。彼女は本当にグルメだったし、美味しいものしか教えてくれないすごい人だった。
ランチを食べない時でも私が今まで生涯で一番美味しいと信じてやまないタピオカドリンクを片手に公園で緑を2人で眺めるのが定番だった。
そして勉強の街、池袋に
そんな彼女は早々に進学先が決まり、私は池袋の予備校に1人通い始めた。もともと勉強は好きだが、天邪鬼なため圧迫感や強迫感があるとやる気がでないのが私だった。
周りはとにかく頭が良さそうで、小学校受験の時にも持っていたあの”言葉にできない気持ち”を感じつつ向かう池袋はいつもより遠く感じた。そんな私の予備校に通う唯一の楽しみはパン屋さんだった。
またパンだと思われてしまうのかもしれないが、それしか楽しみがなかったのである。二階のイートインスペースで予習をしながらパンをたべ、授業が始まるまでの時間を過ごすのは楽しかった。たまにうとうとしながら、仮眠も少しとりながら気づいたら大学生になった。
多分きっとこれからも好きな街
池袋はそんなこんなで私の思い出に今までもこれからもなる街である。美味しいものにも溢れているし、街角にはたくさんの記憶があるし。たぶん嫌いになることはないと思う。あ、そういえば駅前のコメダ珈琲とかタカセの2階にも思い出あるなぁ。次の思い出はどこにあるのだろう。また池袋に行かなくちゃ。
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