映画「子供はわかってあげない」ネタばれ映画感想~まじめに悪ふざける切実な可笑しさ
「場」が紡ぐ「物語」、「心」が紡ぐ「場」
一年遅れの公開となりました沖田修一監督の新作「子供はわかってあげない」を観てきました。冒頭、主人公の女子高生朔田美波(上白石萌歌)がアニメ「魔法左官少女バッファローKOTEKO」を観て涙を流すシーンをじっくり見せていきます。手巻き寿司を用意している母(斉藤由貴)、帰宅して一緒に「KOTEKO」に見入る父(古舘寛治)、と平和なリビングに風呂上がりの弟が裸でヤンチャにはしゃぎまわります。ふと、ン十年前に見たある映画のシーンが思い浮かんでしまったのですが、続く美波の「まてー、海苔巻きちんちんにしてやる」の台詞で確信に変わりました。これってアノ思春期映画の名作「パンツの穴」へのオマージュですよね。まさかの鈴木則文監督リスペクトがうれしいやら、とまどうやらのオープニングです。
さて「子供はわかってあげない」、原作は田島列島の漫画作品で私は未読でした。女子高生が幼い頃に生き別れになった父親に再会し、わだかまっていた心が通じ合い、ちょっと成長するひと夏の物語。っていうウェルメイドな泣ける映画にうってつけの内容です。しかし、ありきたりな劇的表現を上手にかわして、クセのある登場人物やありえない展開、まじめな悪ふざけのなかに人の優しさを感じられる、沖田修一監督ならではの心地よい作品に仕上がっています。2時間20分という長尺が心配でしたが、気づけばすっと心が引き込まれ、場内も最後まで温かい笑いに包まれてました。
「キツツキと雨」「横道世之介」「モヒカン故郷に帰る」など沖田監督の作品には、いま思い出してもニヤニヤしてしまう場面がたくさんあります。面白い「物語」を語るために「場面」があるのではなくて、面白い「場面」が’積み重なって「物語」になる、って感じがするんですよね。物語の単なる構成要素としての場面がなく、そこに居合わせた人々の絶妙なセリフや間合いによって心のすれ違いや歩み寄りが丁寧に描かれていて、各場面が魅力的な一幕物として完成しているように感じます。
のほほん実父探し
※これより先、興奮して内容に触れすぎてしまいました。これからのご鑑賞を楽しみになさっている方はご注意ください!
「魔法左官少女バッファローKOTEKO」マニアの女子高生美波は、水泳部の活動中、校舎の屋上で大きな看板に「KOTEKO」を描く書道家の息子門司(細田佳央太)を発見する。マニア同士の二人はすぐに打ち解け、「レア映像」目当てで門司の家を訪ねた美波は、そこで「あるお札」を発見する。それは数日前、幼い頃に生き別れた実父が送ってきた「謎のお札」と同じものだった。その伝で、実父の藁谷友充(豊川悦司)は新興宗教の教祖であり現在は失踪していることを知る。門司の兄でにわか探偵の明大(千葉雄大)の助けで居場所を突き止めた美波は、家族にバレないように水泳部の夏合宿を抜け出し、友充が潜伏する海辺の治療院へと向かう‥‥
丸い目丸い顔丸い身体とおおよそ円で描かれた上白石萌歌が、ぴょんぴょん跳ねたり階段を駆け上がったりする姿をみるだけでこちらの心も弾んでくるのですが、けらけら笑いが止まらなくなったり涙をぽろぽろ落としたりと活き活きした表情にも心を揺さぶられました。細田佳央太の演じる門司くんのおっとりとした優しい性格も好感がもて、他人が聞いてもさっぱり分からない「KOTEKO」の話題を二人が夢中で話しまくる姿には笑いが止まりません。この二人ののほほんとした微笑ましい関係が、実父探しという深刻な話を重くさせずいい温度で進めてくれます。
そしていよいよ美波と友充の再会になりますが、むりやり劇的に盛り上げることもなく、居心地悪い戸惑う空気のままにしているのがムズムズして可笑しいんですよね。にわか探偵の明大の感受性豊か過ぎるオネエキャラや、治療院の孫娘じんこちゃんの自由過ぎる動き(友充によじ登る!)も、さらに場を混乱させます。
「新興宗教」「襲名争い」「暗殺」「洗脳」「超能力」といった怪しいワードに門司くんや友人が心配するのをよそに、合宿に戻り損ねた美波と友充の海辺の生活は続いていきます。お互いに無関心を装いながらも少しづつ影響を受け合っていく、この不器用で滑稽な関係がなんとも可笑しいんですよね。コロッケのついでにテレビを買ってきたり、水泳を教えろと水着で迫ってきたり、ついには「KOTEKO」のDVDまで買い込んで美波との生活を受け入れていこうとする友充の姿には、可笑しい中にも娘との時間を取り戻そうとする男親の哀愁すら感じてしまいます。
お互いの心に残るもの
物語の前半、書道家の家系である門司くんが家で小学生たちに習字を教えているシーンがあります。慕われている先生ぶりに感心する美波に、「でも、夏休みの間だけだから‥‥」と寂しそうな門司くん。美波はそんな彼に「でも、これからみんなが書く文字の中に、門司くんが生き続けるならいいじゃない」(うろ覚え)と慰めます。後半で、美波は治療院の孫娘のじんこちゃん(と便乗した友充)に水泳を教え、友充は美波にアヤシイ超能力を教えることになります。人が人に出会って、相手の心の中に何かを残こすことによって、その人の心の中で自分も生き続ける‥‥好きなテレビ番組や好きな食べ物を教え合うことで生活にちょっとした変化が起きることなんて当たり前なのですが、意外に奇跡的なことなのかもしれないなあ、と思ったりしました。
美波がスマホを海に落として連絡がとれなくなり、門司くんは胸騒ぎが抑えきれずに海辺の治療院へと駆け付けます。友充は「美波を連れ戻しに来た」と門司くんへの敵意をあらわにしますが、「美波さんに似てますね」の一言で和解、一緒に酒を飲み大笑いで美波に叱られる始末。で翌朝、水泳部の夏合宿も終るため、美波は門司くんとともに帰宅することになります。二人を見送り、ひとりで家に戻っていく友充。と、やがて静かに聞こえてくる「KOTOKO」のテーマソング!この淡々とした静かな別れから、男親の哀愁、そして友充の心に残された美波の足跡‥‥もう悲しいやら可笑しいやらで、へんてこりんな気分で置き去りにされます。
ウソの夏合宿から帰った美波に、「本当はどこに行ってたの?」と問いかける母。美波が友充のスマホ画像を見せると、母は怒ることなく、これまで美波が実父について詮索してこなかったのは「美波なりに家族を守ろうとしているんだと思ってた」と優しく話す。作品全体のトーンをビシッと決める名シーンです。新しい家族との幸せな生活(これが不幸な家庭だとまったく違ったトーンになります)の中にある美波の空白部分とか、のほほんとした笑顔の裏にあった切実さとか、冒頭から振り返って胸にぐっとくるものがあります。
そして静かな別れの後に用意された、美波の再びの階段ダッシュと、門司くんとの屋上での再会。あの何とも言えない切実さと可笑しさの熱量、上白石萌歌と細田佳央太の素晴らしい演技もあって、この圧巻のラストシーンには心をぐいぐい揺さぶられました!
まじめに悪ふざて到達するリアリティ
「娘と実父の再会と別れ」のような劇的に盛り上がる場面を敢えて淡々と描く演出はよくあることですが、これが退屈なドキュメンタリー的表現に陥ることなく、また違った劇的でわくわくする表現を獲得しているという、そこが沖田修一監督作品の毎回驚かされるところなんですよね。前半でプールの水が耳に入ってしまいぴょんぴょん跳ねても取れなかったのが、友充にあった後にはポロっととれたり、地面に名前を書くとその人が現れることを繰り返すなど、いわゆる映画的な場面はたくさんあるのですが、不思議と作り物めいた違和感は覚えません。
作品全体が「まじめな悪ふざけ」に満ちているのですが、それがコントといったジャンルに陥らない不思議なリアリティで語られるんですよね。役者さんの演技も物語の構成要素としての「やらされてる感」のない自然な演出で、「可笑しな場面」にいる「可笑しな人物」のオカシイ状況に説得力を与えています。自然さということでは、豊川悦司と斉藤由貴のメイクっぽさのないオトナの顔(お互いの写真を見て「老けたなあ」というシーンあり)も、とてもきれいでした。真夏なのに窓開けっぱなしで外の庭や海を映し、風鈴がなって扇風機が回っている映像も印象的で、猛暑でクーラー全開の今日ではありえないけれども、なぜか自然で心地よいんですよね。
こういう本気の「まじめな悪ふざけ」が、切実なんだけれどもどこかオカシイ、人間って面白いなあって愛しい時間を作り出してるんだろうと思います。観終わって、思わず登場人物たちの今後の幸せを祈ってしまいましたし、その予感をじゅうぶん感じさせてくれるラストもお見事でした!
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