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愛情≒パン・デピス~Pandepis d'amour~『第29話:閉幕』(29/29)

 ──子どもたちの物語、楽しんでいただけただろうか?
 


 ──私が憎い? そうかもしれないな。彼らにとっての私は、養豚場の豚に接する人間と変わりがないのだから。存分に憎めばいい。私は憎まれることを拒まない。
 これは、人間には人間の事情があり、家畜には家畜の事情がある。その家畜視点の物語といっても差し支えがない。彼らに感情移入するのも当然のこと。貴殿らはそれでいい。そうあるべきだ。



 さて、今年度の収穫はひとり──恋ヤマイだけだった。
 彼がどうなったのかは、勿論賢い貴殿らには想像に難くないことだろう。
 私は私の『子どもたち』のため、自ら彼を切り分け、そして配った。愛する子どもたちにそのままのりんごを差し出すより、兎の形に切り分けたりんごを与えてやりたいという気持ちと同じだ。包丁一本を使うだけで、そこに生じる『まごころ』には差が出るものだ。
 強い感情を失った地球の子どもたち。彼らはとても驚いてくれた。私はこの表情を求めていた。そして彼らは『パン・デピス』を口に運び、綻んだ笑顔を、まだぎこちない笑顔を私に向けてくれた。

 この日のために、多くの犠牲を払った。私の計画はもう、ここから止まることは有り得ない。
 しかし、恋こがれと恋もえるについて、私はこれ以上彼らの意志に介入するつもりはない。彼らが彼らという生命体の秘密を守る限り、彼らにも、私にも問題は発生しない。符園てぃー君と真白ちづ君は真実を知ってしまったようだが……彼女らの手の届かないところで、私は計画を続行する。

 私を恨み、憎むこともまた、彼らを情緒的に成長させることだろう。彼らを人間に、近づけることだろう。
『人間になれる』──『パン・デピス計画』のための都合の良い甘言のつもりだった。しかし、今や彼らは私よりも人間らしいと言えることだろう。
 子どもの成長というものは、本来、こうでなくてはならなかった。地球にも、私はこれを取り戻す。その為に、すべてを踏み潰して、私は進む。



 私についてこれ以上語ることは不要だろう。貴殿らも望んではいないことだ。だから最後に、これだけ。



 ──ヒトよりもヒトらしく生き抜いた子どもたちに、どうか称賛を!


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