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愛情≒パン・デピス~Pandepis d'amour~『第16話:とろけるフォンダンショコラ編④』(16/29)

「──……シュガー・スプリンクル・デイ当日、僕と過ごしてくれませんか?」

******

 彼女は以前より朗らかになって、以前よりも分からなくなった。
 それでも俺のやることは変わらない。
 目的は最初からひとつなんだから。



 彼女が少々『おかし』くなってから、どうやって接していたかも思い出せない。それでもシュガー・スプリンクル・デイは彼女といる必要がある。そのため早々にカラシをつけてしまったわけだが。

 コツコツと椅子の足を小突かれるような振動に思考の阻害をされたので、足元を見やる。誰の足だ?  視線を上げると、そこにはフルーツタルトの少女多果宮サクリがこちらを見下ろしていた。

「なんだよ」
「なあ、あの日結局何があったんだよ?」
「何が?」
「しらばっくれんなって。あんたがあいつを探してくるつってサボった時だよ」
「ああ、……」
「あんたは水あめ浸しでべたべたになってるわ、しょこらはあんたにベタベタになってるわ、そんなの、気になんに決まってんだろ? 教えろよ」
「別に何もしてないよ」
「嘘つけ」
「ほんとに何も知らないんだって」
「んじゃ、しょこらに聞いてこよっかな」
「彼女はだめだ!」
 咄嗟に声を荒らげてしまった。どうやらこの反応がよりサクリちゃんの好奇心をかき立ててしまったらしく、きょとんと表情を転がしたかと思えばすぐに意地が悪そうに笑って、
「あたしはどっちでもいいんだぜ?」
 なんて言うものだから、俺にとって拒否権も黙秘権もなくて。



「──なっはっはっは! 涙を掬って舐めただって!? そりゃちょっときもいな!」
「ちょっ声でか……! ただのチョコレートでしょ?!」
「いや体液だろ」
 間髪入れずに突っ込まれて、ぐうの音も出なかった。そんなの、そんなこと言われても知るわけないだろう、ケーキたちの感覚なんて。彼女が当たり前のように渡してくるものだからそれが一般的なのかと思うじゃないか。どうしてこうも予め詰め込んだ知識だけじゃ分からないことが沢山あるんだか。

「……というか、その感覚のせいであの子は苦しんでたんじゃ」
「何の話だ?」
「いや……何でもない」
『普通』のケーキにとって、『普通』の反応はサクリちゃんなんだろう。ならしょこらちゃんは? どうして『普通』の反応を示さなかったんだ。体質にコンプレックスを抱いていたとはいえ、一般的な感覚をさしおいてあんなに喜ぶものか?  性格ががらりと一転するほどに? ケーキの性質なのか、女のコの性質なのか、あの子の性質なのか。……あるいはもっと別の何かか……?

「にしても食べるなんて、よくそんなの思い付いたな。あたしじゃ到底辿り着かねえ発想だ」
「……それ皮ニク?」
「まさか! 褒めてんだって」
 含み笑いをしながら言われてもな。

 彼女のだる絡みが鬱陶しくなって、席を立って逃げるようにその場を後にした。
 まだ話は終わってないだろと最後に背に飛ばされた野次には耳を貸さなかった。

******

『中身が漏れやすい体質』──言葉通りだ。なら俺は盛大な勘違いをしてしまっていたのではないだろうか。
 彼女が自身の体質を気にして過ごしていたのは正しくて、俺の言ったことは全部間違っていて。俺の言ったことを真に受けたせいで彼女は変わってしまったんだとしたら。

 ……中身って、有限だよな。仮に、もし仮に全部中身がなくなったら。彼女は分かってるのか? まさか彼女は。

 ……彼女は、どうしてあんなに俺に食べて貰いたがるんだろうか。あんなに毎日作ってて本当に大丈夫なのだろうか? 最近の彼女は、体質の管理をどうしてる? いやまさか。そんなわけがない。彼女がやろうとしている事が仮に本当にそうだとしたら、どうして彼女自身は明朗としているんだ。おかしいじゃないか。それに、そういう願望があるのなら、材料をひた隠して他の子にも食べて貰った方が効率がいいはず。……やっぱり、今の彼女は考えてることが分からない。



 ……別に、彼女の考えてることなんて、今はもうどうでもいいじゃないか。理由は分からないけど仲良くなって、約束も取り付けることが出来たんだ。今の彼女に一貫性があろうがなかろうが関係ない。
 そもそも、ケーキの子と仲良くなって、形はなんであれ絆を深めて、愛情を育んだのは、それもこれも全部食べるためにやってきたことのはずだ。俺はまだニンゲンになりたいと、本能がそう願っている。ニンゲンになって、お母様や他のきょうだいたちと本当の家族になりたい。どうせ、どうせ最後は食べなくちゃいけない、彼女の安否を気にする必要なんてない。大丈夫、全部上手くいってる。
 そうだ。別に彼女が本当にそう願ってても、理由が何であっても、俺の目的にとっては都合がいい。彼女がその気なら──。



 ……その気なら?

 途端に、考えるのが怖くなった。
 何か大事なことを見落としている気がする。

「恋ヤマイ」
「っ、こ……こがれ姉さん」
「調子は」
「もちろん、順調だよ? シュガー・スプリンクル・デイ当日はあの子と過ごす約束もとりつけたし」
「そう。準備が早いのはいい事」
「姉さんは?」
「あなたには及ばないけど、問題ない」
「そっか」
「あなたがホームルームをサボった時、私はどう叱責しようか考えていた」
「うっ」
「しかし今のあなたを見て考えを改めた」
「はは……そ、そう……」
「現時点ではあなたが一番乗り。きっとお母様もお喜びになられる」
「うん……そうだといいな」

 去り際に軽く肩に置かれた手が、期待をしていると言わんばかりに異様に重たくて。一向に離れた感じがしない。どうしようもなく逃れたくなる、一体何から逃れたいというのか。思考が飛び交ってうるさい、上手くまとまらない。
 純粋に、素直に喜びたかった。

 ……もえる、もえるはどうするんだろう。聞きに行くか? いや、多分まだ決めてないだろうから、今聞いてもな。呪……あいつはしょこらちゃんとはまた別の方向性で何考えてるか分からないし、何か嫌なことを見抜かれそうで話したくない。



「ヤマイくん!」
 背中にとんと軽い衝撃が通って、仄かにチョコレートの香りが鼻の奥を擽った。足音なんてしてたっけ、気付かなかった。
「ここにいたの? わたし探してたんだよ」
「しょこらちゃん……」
 体質を気にしなくなった彼女は、最初の頃より口数が増えて、笑顔も増えて、優しくて明るくて、甘えたがりで。
 より一層、不安定だった。

******

「シュガー・スプリンクル・デイ、楽しみだね。早く来ないかなあ」
 最近の彼女の口癖。



「昨日のカップケーキはどうだった?ヤマイくん、一口しか口にしてくれなかったから」
 最近の彼女の心配ごと。



「ねえねえヤマイくん、明日は何食べたい?」
 最近の彼女の問い掛け。

 今日も、昨日も、一昨日も。一週間前も変わらず、同じ話をして、同じ質問を繰り返してくる。
「……明日は、いいよ」
「なあに?」
「毎日はいらないよ」
「えっ?  でも、」
「……食欲がないんだ」
「き、昨日のカップケーキ、口に合わなかった? ごめん、美味しく作れたと思ったんだけど……」
「……なんで分かってくれないかな……」
「ごめん、ごめんねヤマイくん。わたし、また新しいお菓子を作るから、ヤマイくんが食べたいものなら作るから」

 あの日以来、彼女とは会話のほとんどが噛み合っていない。体調はどう? 体質はどうなってる? 無理してない? 何か隠してる?  聞きたいことは沢山ある。今までも聞いてこなかったわけじゃないし、彼女は答えないわけでも、答えたがらないわけでもなかった。なのに疑問は晴れない。答えになってない答えばかりが返ってくるだけだったから。質問の意図が分かっていないのだろう。少し前までは、こうじゃなかったのに。
 俺のせいなのかな。正直どうすればいいか分からない。どうすれば答えてくれるのか。彼女には何が見えてるんだろうか、彼女は、何を見ているんだろうか?

「……しょこらちゃんは、この先どうしたい?」
 こんなこと、聞いてどうする気だ。

「わたし?」
「うん」
「わたしはこの先もずっとヤマイくんと一緒がいい!」
「……」
「来年もそのまた来年も、シュガー・スプリンクル・デイはヤマイくんといたいし、シュガー・スプリンクル・デイじゃなくてもヤマイくんと一緒にいたい!」
 嘘はついていなかった。懸念なんて必要がないくらい、彼女は屈託のない笑顔を俺に向けてくれる。そうだよ、ほらみろ、彼女に希死念慮なんてまるでない。ただの杞憂だ。だから俺が覚悟を決めなくちゃ。



 覚悟、覚悟か。

「……俺も、当日が楽しみだよ。だからしょこらちゃん、身体は大事にね」
「……! うんっ、わかった!」

 …………別に、まだいいか。3月31日はまだ先だ。


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