愛情≒パン・デピス~Pandepis d'amour~『第19話:黒い森のトルテ編③』(19/29)
1月になると、空から降ってくる粉砂糖が少しずつ多くなっていきます。3月31日のシュガー・スプリンクル・デイに向けて、気分が盛り上がっていく季節。毎年この頃になると、トルテはうきうきして、コットンキャンディの上を歩くみたいに軽い足取りになります。
でも、今年のクラスは重たい雰囲気です。第2学期長期休暇の間に呪さんが通り魔事件に巻き込まれて亡くなってしまったり、もえるさんも同じ事件で怪我をして入院されたりと、悪いことがたくさん起こったものですから。休み時間も以前よりしんとして、寂しい空気が漂っているのです。元気が取り柄のトルテも悲しい気分になります。だっておふたりとも大事なクラスメイトですから。
そんなある日、ホームルームの時間に、突然にいさまがおっしゃいました。
「みんな。今日は、外で粉砂糖合戦をしよう」
みなさん驚いた様子でした。粉砂糖合戦は、積もった粉砂糖を玉にして、相手のチームに向かって投げる遊びです。粉砂糖玉が当たって体が真っ白になってしまったら、そのケーキは離脱。玉を作ることはできますが、投げることはできなくなります。相手のチームを全員真っ白にした方が勝ち……確かそんなルールでした。ちょうど粉砂糖の量が多くなってくる今頃に、よく行われる遊びなのです。
「今日は変な会議なんかしないで遊んでいいってことか?」
「変な会議をしているつもりはないけど……そういうことだよ」
手を上げて発言したサクリさんに、にいさまは少々不服そうに答えます。いつものホームルームは学級のことをみんなで話し合う時間なのですが、サクリさんはそれがお好きではなかったみたい。やったぜ、と喜んでいる声が聞こえます。
「わたし運動は嫌……」
反対に、ぽつりと呟くしょこらさん。
「俺はみんなで遊ぶの楽しそうだと思うけどなぁ……あっそうだ、俺と同じチームに入ればいいじゃん!」
「ヤマイくんと一緒っ?」
しょこらさんはぴくりとお顔を上げました。その様子を見て、にいさまはひとつ頷きます。
「うん、ちょうどいいね。チームの方は、色々なバランスを考えて僕が先に決めさせてもらった。これから発表するよ」
そう言いながらにいさまは黒板にみなさんの名前を書いていきます。
第1チームは、にいさま、こがれさん、ちづさん、てぃーさん。第2チームはヤマイさん、しょこらさん、サクリさん、それからトルテ。やっぱりにいさまとは別のチームになってしまいました。それは残念ですけれど、それぞれの体育の成績を考えたら、確かに自然なチーム分けかもしれません。
「一応、勝ったチームには褒賞も考えた。抽象的だけど……何でも1つ願い事を言っていいことにしよう。どんな願いでも構わない。もちろん、実現可能な範囲でお願いしたいけど」
「誰かに何かさせたいって願い事でもいいのか?」
「いいよ。なるべく相手の嫌がらないものにしてほしいけど」
「へへっ……じゃああたし、こがれに奢らせようかな!」
「そんなこと、個人的に頼めばいい」
「それじゃあ買わせられないようなスペシャルデラックスマーベラスクレープを奢らせるんだよっ」
「やめて……」
入学したばかりの頃に比べてずいぶん親しくなられたおふたりを眺めながら、トルテはふと思いつきました。発言したいという印に、そっと手を上げます。
「……何?」
「今度のシュガー・スプリンクル・デイ、にいさまと過ごしたいというお願いでも構いませんの?」
「……」
にいさまは一瞬黙り込みました。
「……ああ、お前が勝てたらね」
その言葉で、噴き上がるソーダの泡のように、一気にやる気が湧いてきたのです。
*
校庭に出て、2チームに分かれ作戦会議をします。ヤマイさんは本当にこういった遊びがお好きなようで、すでににこにこと楽しそうです。
「俺とサクリちゃんが投げるからさ、しょこらちゃんとトルテちゃんは壁の後ろで粉砂糖玉を作ってて?」
「ああ、あたしとヤマイに任せろ!」
「うん。ヤマイくんがそう言うなら……っ」
しょこらさんはどこかうっとりとした表情で頷きます。トルテもボール投げは得意ではないので、作る係になった方が良いでしょう。ヤマイさんとサクリさんは体育が得意ですから、戦力としては申し分ありません。異議はない……と普段なら申し上げるところなのですけれど、今回は少し事情が違いました。
「あの……トルテにリーダーをさせてくださいません?」
「え?」
「みなさんに指示を出させていただきたいの」
体育の得意な方は、こちらにはふたり、あちらにはこがれさんひとり。ヤマイさんとサクリさんの運動能力で押し切れる、と思いたいところですが、連携なしに投げても、にいさまのいるチームに勝てる気がしないのです。
「それはいいけど……」
「トルテ、あんたそんなことできるのか?」
「粉砂糖合戦はしばらく遊んでいませんけど、昔覚えたことを、少しなら」
みなさん心配げなお顔です。入学して以来、トルテがリーダーになろうとすることなんて一度もなかったのですから、当然です。理屈では説得できません。ですから、少しだけ感情に訴えることにしました。
「トルテはどうしても、にいさまに勝って、シュガー・スプリンクル・デイを一緒に過ごしたいのです。にいさまのお側にいられる機会を、どうしても逃したくないのです」
「……その気持ち、分かる」
しょこらさんが小さく呟きました。トルテに向ける眼差しがきらきらと輝いています。
「わたしも同じだもん……分かるよ、トルテちゃんっ」
「あたしも応援するよ。家族は大事だもんな」
「俺も……家族とのこと、少し後悔しててさ。もうちょっとやりようがあったのかなって。仲直りできるならそれに越したことないよね」
みなさん、トルテがリーダーになることを了承してくださいました。
「ありがとうございます、みなさん。よろしくお願いしますわね」
みんなで手を重ね、一緒に声を出します。トルテチーム、始動です。
*
一方その頃、キルシュチーム。
「リーダーは僕が務める。みんな、僕の指示に従ってくれるとありがたい」
「……」
「……」
「前衛は私ね」
「ああ。そして、こがれさん以外の3ニンで、ひたすら粉砂糖玉を作る。前に出るのは彼女だけで十分だ。なんなら君たちふたりは、壁の後ろで休んでいてもいい。僕がなんとかする」
「……。なんだか、気を遣われているみたいね」
「……うん」
「まあ、言ってしまえばそうだ。主に君たちふたりの気分転換にならないかと企画した。効果があるかはわからないけど」
「……気持ちはありがたいわ。嬉しいと思えないだけで」
「ああ、それで構わない。参加してくれただけで十分だ」
「そ、そんな……! ウチ、は、えと、ごめんなさいっ……毎日、泣いてばっかりで……弱い子で……」
「いいや、気にしなくていい。友だちが入院していれば、心配になるのは当然だから」
「あ、ありがと……。あ、ああああの、その……や、やっぱりウチも、参加していいかな……?」
「もちろん。じゃあ、作戦変更だね。練り直そう」
*
おおよそ10分後。それぞれのチームの防御壁が出来上がり、試合の準備が終わりました。
「それじゃあ、各チームのリーダーは前へ」
にいさまの言葉で、にいさまとトルテは同時に1歩前へ踏み出します。にいさまは僅かに目を丸くし、それからふぅとため息をつきました。トルテが差し出した右手を、にいさまは一瞬だけ握り返します。にいさまに触れたのは久しぶりでした。
「にいさまに勝ってみせますわ」
「……やってみなよ」
それからにいさまとトルテは、それぞれ逆の方向に歩み出しました。粉砂糖合戦が始まります。
*
順当に考えて、にいさまのチームはこがれさんひとりを前に出して戦う単独アタッカー編成になると予想していました。こがれさんの他に適当な方もいませんし、それが攻守備えた最も堅実な作戦だからです。けれど。
「ぽっ……ぽひゃあああああっ!」
先陣を切ったのはてぃーさんでした。壁に半身を隠しながら闇雲に粉砂糖玉を投げ、その玉はあらゆる場所に被弾しました。その隣でこがれさんが正確無比な鋭い玉を投げてきます。軌道の読めない玉と、真っ直ぐこちらを狙ってくる速い玉。絶妙に避けづらく、攻め込みにくい陣形です。
「全然攻撃できないよっ!」
「ど、どうすんだトルテ!」
壁の後ろで、本来攻勢に出るはずだったおふたりが指示を待っています。ダブルアタッカー編成は最も攻撃に特化した戦略。けれどアタッカーを封じられてしまえば一貫の終わり、という欠点もあります。後手に回る形にはなりましたが、こちらも迎え撃つほかありません。
「防御迎撃陣形ですわ! おふたりとも、穴を開けてくださいませ!」
トルテの合図で、ヤマイさんとサクリさんはそれぞれの隠れる壁の中央にぼすんと穴を開けます。壁を作るとき、真ん中だけ崩れやすいように固めてあったのです。
「ここから投げればいいんだな!? よっしゃ、任せろ!」
ちょうど頭より少し小さいくらいの穴。そこを通すことで、体を壁から出さずに玉を投げることができます。少々コントロールの技術は必要ですが、ヤマイさんとサクリさんの身体能力であれば問題ありません。
「こがれさんを狙ってくださいませ!」
ダブルアタッカー編成であっても、攻撃の要はやはりこがれさんです。彼女が投げられなくなってしまえば、もうトルテたちの勝ちのようなもの。
「……っ」
こがれさんの髪を粉砂糖玉がかすめていきます。こちらが壁に隠れながら投げているため、玉の軌道の予測も難しいのでしょう。こがれさんは思っていた以上に回避に苦戦しているご様子です。
「ぴゃっ……! こここ攻撃されてるよぉ!」
「大丈夫、君はそんなに狙われないはずだ! 落ち着いて投げ続けて!」
「わっ、わわっ……うんっ……!」
こがれさんが避けに専念している分、あちらのチームの攻撃の手は緩んでいます。このままヤマイさんとサクリさんのおふたりで攻撃し続ければ押し切れるかもしれない。そう思った直後でした。
「わっ!?」
ぼふん。音がして、ヤマイさんの周りで粉砂糖玉が砕け散りました。彼の全身は真っ白。粉砂糖玉が当たってしまったのです。
「な、なんでっ!? 俺ずっと隠れてたよ!?」
トルテも一瞬わけが分かりませんでした。けれど、消去法で考えていけば推測できます。
「てぃーさんの投げた玉が、ヤマイくんの壁の穴を偶然通ったみたいだね」
にいさまのおっしゃる通り。壁に空いた穴は頭が通らないほど小さいものですから、現実的に考えて、狙って投げることは困難です。けれど、とても困難というだけで、不可能ではないのです。
「ウ、ウチのせいで……ごごごごめんなさいっ!」
「いや、そういうゲームだからさ、気にしないで?」
これでもうヤマイさんは投げられません。ひとりが脱落してしまったために、今度はこちらの攻撃の手が緩むことになりました。こちらの攻撃に隙が生まれるということは、こがれさんが回避に専念する必要がなくなるということ。トルテたちは再び、激しい粉砂糖玉の嵐に晒されることとなりました。
「チッ……このままじゃ埒があかねぇ!」
サクリさんのおっしゃる通り、このままでは消耗戦です。打開策はないか考えてみても、あちらの攻撃をうまく崩せる手は思いつきません。こちらのひとりが犠牲になることであちらのひとりを脱落させる、そんな方法以外には。
「……あたしが前に出てひとり倒してくる。それでどうだ、トルテ?」
サクリさんがトルテに呼びかけます。トルテは少し考えました。先のことを考えれば、この作戦はその場しのぎにしかなりません。サクリさんを失えば、残るのは玉を投げるのが苦手なしょこらさんとトルテだけ。けれどもし、サクリさんがこがれさんを打ち取ることができれば。サクリさんにはその可能性があると見ました。
「……分かりましたわ。よろしくお願いします、サクリさん」
「おう!」
粉砂糖玉の間隙を見て、サクリさんは壁の後ろから駆け出しました。即座にこがれさんの玉が彼女を追います。サクリさんはルートを読まれないように蛇行しながら走り続け、けれどこがれさんの読みが上回り、サクリさんの顔面に粉砂糖玉が迫って。
「……っ」
最後の一瞬でサクリさんはひとつ粉砂糖玉を投げました。それはこがれさんに真っ直ぐ向かい、けれど髪一筋のところで躱され。
「ぽひゃぁっ!?」
偶々その後ろにいらっしゃったてぃーさんの頭の上で炸裂しました。
「チッ……惜しかったな」
「ご、ごめんなさい……当たっちゃった……」
これで、こちらの残りのメンバーはしょこらさん、トルテ。対してあちらにはにいさま、ちづさん、こがれさん。トルテのチームは圧倒的に不利な状況です。壁の両脇にはこがれさんの玉が飛び、合間を移動することすらできません。
「どうしよう、トルテちゃん……?」
「……壁に隠れたまま、上に向かって玉を投げましょう」
「えっ?」
「たくさん投げて、偶然当たるのを狙うのです」
上に放り投げる形であれば、大きな動作も力も必要ありません。それならなんとか、としょこらさんも同意してくださいました。
トルテたちに取れる手段はもうこれしかありません。運に頼ること、ただそれだけ。夕暮れの空を、無数の粉砂糖玉が舞いました。
「……きゃっ」
「うわっ」
にいさまとちづさんの被弾する声が聞こえた時には、神さまが味方してくださったと思いました。けれど。
ぽん、とこがれさんが粉砂糖玉をふたつ、上空に放ります。目に見えないほど高くまで飛んだそれは、真っ直ぐにしょこらさんとトルテの頭の上へ。避ける暇もなく視界が真っ白になり、こうして、トルテチームは負けてしまったのです。
*
「それじゃあ、勝利したチームのメンバーは、それぞれ願い事を言ってくれ」
にいさまに促され、ちづさんとてぃーさんはお顔を見合わせます。
「……ごめんなさい、思いつかないわ」
「ああ、構わない。思いついたらいつでも話してほしい。てぃーさんは?」
「ウ、ウチは……もえるくんが早く目覚めるように、みんなで金平糖にお祈りしたい……っ」
「分かった。このあと、皆でお祈りしよう」
それからにいさまは、クラスの中でただひとり粉砂糖を被っていないこがれさんに視線を向けます。
「君は?」
「望みは自分で叶えることに意義がある。頼むことはない」
「そうか。分かった」
にいさまが頷いたあと、少しの間沈黙が落ちました。ヤマイさんが少し遠慮がちに手を上げます。
「……キルシュさんは?」
「あ……僕もか。僕は特にない。強いて言えば、このまま来年度まで学級がうまくいくことかな」
「それだけ……!?」
トルテチームの全員で、思わず一斉に言いました。だって、どの方もあまりに無欲なものですから。
「どいつもこいつも勝ち甲斐のないやつ!」
「……わたしは平気。自分で叶えるもん、ねっ、ヤマイくん!」
「えっ……う、うん……?」
そのあと、全員でもえるさんが早く元気になることをお祈りして、その日は解散になりました。それぞれに帰っていくみなさんの表情は少し明るくなったように見えて、澱んでいた空気が僅かに透き通ったような気がしたのです。
******
いつも通り、帰路に就くにいさまの後ろをついて歩きます。結局トルテの願い事を叶えることはできませんでした。
「……にいさま?」
「……」
「トルテ、頑張りましたの……にいさまと過ごしたくて……」
「……だから?」
「やっぱり、だめですか……?」
金平糖の光が降る中、にいさまの背中は遠く見えて。
「……お前とは過ごさない」
ひんやりと冷たい声は、静かにトルテを拒んでいたのです。
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