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愛情≒パン・デピス~Pandepis d'amour~『第25話:しっとりチーズケーキ編⑤』(25/29)

『兄さんはほんとうにきみのことが大好きだった。シュガー・スプリンクル・デイが終わったら、起こったことのすべてを話すから、どうか彼への誤解を解いてほしいんだ』



 ──どいつもこいつも、ふざけやがって。
 どれだけ私を馬鹿にしたら気が済むんだ。

 最初はあの子に問い詰めた。彼は怪我を負って立ち会うには時間が必要だったから。でもあの子は泣いて謝ってばかりで肝心の知りたい内容が見当たらない。相手が聞いてる事もまともに答えられないなんて、どこまで行っても本当に使えない子。
 仕方なくもえるちゃんと……彼と面会が可能になる時まで気を落ち着かせて、願って祈って悪い方に考えないように耐えて、ずっと耐えていたのに。



 それなのになんだ。何が待って欲しいだ、ふざけるのも大概にして欲しい。私は既に再三待っている。嫌という程待っている。それでもまた待たなければならないのか? 一体私がどんな気持ちで待っていたと思っているんだ。こんなに行儀良く待っていてもまだ時間が欲しいというのか。私の時間を何だと思っているんだ。理由を知っている癖に教える事が出来ないなんて、そんな説明で、私が納得できると思ったのか? はいそうですかと頷くと思ったのか? もっと納得させられるような事を並べてくれ。どれだけ待たせれば気が済むんだ。そもそもそんな事を聞く為に私は待っていたんじゃない。揃いも揃って皆で隠し事しやがって。私を馬鹿にするのがそんなに楽しいか。
 ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんな。この下手くそ、嘘をつくならもっとちゃんと完璧に嘘をつけばいい。気付かれないくらい、つい信用してしまうくらい、見破れないような完璧な嘘をついてくれ。本気で騙す気もないなら中途半端に嘘なんかつくなよ。本当に嫌味ったらしい。何であの子が無事であのヒトだけが。そんなの絶対おかしい。遺体だってないのに。私は知らない、見ちゃいないのに。そんなのどうやって納得しろと言うの。どいつもこいつも嘘ばっかり、そんなだから何一つとして信用出来ないし信用されないんだ。通り魔というのも嘘、あの子の言葉は嘘、だからあのヒトの言葉も全部嘘。

 それを指摘したらこれだ。そんな事聞いてないと何度言えば分かるんだ。此処には馬鹿しかいないのか。隠し事を認めてもなお話さないなんて往生際が悪いにも程がある。いい加減にしろ。事情があるからなんだ、それを言うなら私にだって事情がある。知らなきゃいけないのに。知らないと気が済まないのに。



 ……本当はあなたに直接問い詰めたかった。落ち着いて話がしたかった。あなたとなら落ち着いて話ができた。あなたが話してくれるなら、打ち明けてくれるなら私はなんだって真剣に聞き入れたのに。
 でもあなたは教えてくれなかった。誤解も何もそれが事実だ。その事実で充分だ。教える機会がなかった訳では断じてない、意図的に話さなかったんだ、あのヒトは。私はあのヒトにとって、所詮その程度の存在だった。そして今怪我を負った彼がその代わりを努めようとしているという事は。
 
 不安や懸念、晴れない疑問と膨れ上がっていく気掛かりが憤りに変わって矛先があのヒトを向いた時──ほんの少しだけ、気が楽になった。
 だから私はその感情に従った。



 ガシャンと花瓶の割れる音が耳を劈く。
 ああうるさい。なんて耳障りな。



「……………………うそつき」

 嘘つき、うそつきうそつきうそつき。
 じゃあもう、来ないんじゃないか。今日はもう来ないんじゃないか、約束した癖に。お前が一緒にいたいと言った癖に。家族になりたいと言った癖に。どれだけ私に恥を欠かせたら気が済むんだあのヒトは。もういい、お前なんか知った事か。勝手に何処にでも行けばいい。絶対に追い掛けてなんかやるものか。着ていく予定だった服が視界に入って私を逆撫でる。クローゼットの奥に閉まっておけば良かったものを。私も大概馬鹿だ。自部屋の整理整頓が行き届いた机の上に立て掛けてあるノートや教科書を薙ぎ倒そうが、爪を噛み砕いて唇を噛み締めて頭を掻き毟ろうが腕に爪を立てて引っ掻いて体内を巡り通っている液体が滲み出ようがこの怒りが鎮まる事はない。それでもひたすらに物や自身に当たり散らした。居心地のいい場所を求めるかのように。コンコンと自部屋の扉の向こう側から控えめなノックの音が聞こえて、安否の声が掛かろうと無反応を突き通そうとした。反応が返ってくるのを求めてまた声が掛かる、あまりに執拗いから苛立ちが勝って、扉を叩き返して返事をして、放っておいてと自分でも信じられない声が出て乱暴に彼らを言葉で突き飛ばして、初めて私は、私の意志を貫き通した。
 ……これが、こんなものが、お前が私に与えたかった変化だと言うのなら。



 お前なんか誰が心配するものか。
 お前なんか誰が期待するものか。
 お前なんかに誰が涙を流すものか。

 お前なんか、誰が。



『これ、兄さんの……大事にしてたみたい……』



 本当に、忌々しい。腹が立つ。どうしてこうも私を逆撫でたがるの。贈った物を贈り返す奴があるか。
 センスのない男だ。そんなだから皆から好かれないんじゃないか。大事にしてるなら返してくるな。要らないのなら最初から貰うなと、締め切っていたカーテンを退かして、窓を開けて思いっきりぶん投げた。粉砂糖が部屋の中に入ってくるのも厭わずに。なるべく遠くに行くように、あのヒトへの気持ちが冷めるように、私の元へ返って来ないように。
 そう願ったのに私は振るった拳を握り締めたまま。手の内にあるものは手放せないで、そんな自分が嫌になった。窓から半身を隠すように座り込んで、心の底から嫌になった。中途半端で、憎たらしくて嫌になった。あのヒトも、あのヒトを憎む自分も。自分がこんなにも愚かである事を認めたくなくて、別に、このピンは元々私の物なんだからと言い訳して、自分の品格が下がっていくのが本当に気持ちが悪くて吐き気がして、それすらもあなたの所為にして反芻思考の繰り返し。ずっとずっと怒りが込み上げてきて収まらない、溜飲が一向に下がらない、怒りで息を吸うのも吐くのも震えていた。声にでも変換して発散できたなら、もう少し楽になれたのかも。
 ……窓なんて開けるんじゃなかった。日が沈みきってる事なんて知りたくなかったし、外の景色なんて知りたくなかった、この時間の街並みなんて見たくなかった。この感情だけは粉砂糖みたいに一瞬にして溶けやしないのだと知りたくなかった。知りたい事は知れないのに知りたくない事ばかりが情報漏洩されて、不都合で不愉快で腹立たしい。

 今日あのヒトは来ない、それだけが嘘ならば、私は。



 ──どうせ、どうせお前なんか誰からも愛されない、お前なんか誰からも愛されなくて当然だ。私は最初から絆されてなんかいない。お前の好意が心地良かった訳じゃない、理由があったとしてももう聞いてやらない、言い訳なんか聞きたくもない、どうせ何処かで生きてるんだろ、私の知らない所で暮らすつもりなんだろ、私をこんな目に遭わせておいて、こんな気分にさせておいてお前だけのうのうと暮らして逃げようなんて絶対許さない。裏切り者、泣いて謝ったって許してやらない。口も聞きたくないしお前の顔なんか思い出したくもない、二度と顔なんてみたくない。
 私の前から去るなら私の記憶ごと持ち去って。何も残さないで、せめて一言くらい何か言って。水に流せるくらい安易な関係で終わらせて。一発くらい殴らせてからどっか行って。
 もしもお前が私の前に再び現れようものなら、水をかけて胸ぐらを掴んで罵詈雑言を浴びせて、お前の嫌がる事をして嫌がる事を言って癒えない傷を与えてから徹底的にやっつけてごみ箱にでも捨ててやる。



お前なんか、誰が、────愛してやるもんか。


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