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『ADHD寄り脳コワさんによる、本を読めるようになるための悪あがき。(実践編その1)』

これの続きみたいなもんなんだけど。

うっかり図表と指標だけ作って満足するところだった。
あぶねえあぶねえ。

前回までのあらすじ。

本が思うように読めない現状を打破すべく、いかにして読む冊数を増やすか、という方向性に切り替えたイエモリ氏。
自分にとっての可読性とモチベーションが、一定以上の高さに達した本を、優先的に読んで冊数を稼ごうと考え、具体的な指標を作成する。
しかし、指標を作成したことに満足し、実践に移さねば意味がないということは、すっかり脳裏から消え去っていたのであった。


これもうほんと自分あるあるなんだけど、大抵の事象に対して、『気が済むと忘れる』んだよね。
おそろしくきれいさっぱり。
これは、記憶の倉庫から削除される、という意味ではなく、倉庫のどこかにはあるけど呼び出されなくなる状態。

これはその、その手の同類の人たちに向けて聞くんですけど、寝て、起きると、だいたいのことは忘れてない?
リストラレベルのヤベーことも、わりと寝て起きると忘れてない?
寝て起きると、感情がリセットされてて、トラブルの自覚上の深刻度が著しく下がったりしてない?
深刻な問題なのに、どうもうまく継続して意識し続けられないところない?

盛大な喧嘩の翌日とかに、ケロッとしてめちゃくちゃいつも通りの感じで話しかけて、切れ散らかされたりしてない?
ちゃんと悪いとは思ってんだけど。

一方で、複数の情報が常に同時並行的に脳内を走っていて、ワーキングメモリが圧迫されがちな皆さんには、寝て起きたらリセットされる機能は必要不可欠だとも思うんだけど。
副作用として、しばしば前日の反省が翌日に生かされないという、重大な問題を引き起こすよね。

ほらすぐに本題からズレる。

で、今回の本題なんですが。


計画立てるだけで終わってどうすんだよ。
実行しようぜっていう話ですわ。

具体的に何をするかというとですね。分類するんですよ。目下読もうとしているいくつかの本を。

とりあえず、今読みかけてる本を20冊ぐらい持ってくるわ。
(注:読みかけている本が20冊である、という意味ではない。なお、ラインナップには再読本も含まれる)

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あー、なんというか。他人に本棚見せるのってだいたい恥ずかしいけど、現在進行形の読みかけている本一覧というのは、もっと気恥ずかしいな。
もっとも、Twitterやってる時点で恥は垂れ流れてんだろ、と思えば、今更なんだけど。

ところで、百万に一の確率で、ここに並んだ本の著者の方が、このラインナップを目撃してしまった場合に備えて、この場を借りて弁明させていただきます。

いつまでも読みかけておりまして、まことに申し訳ございません。
最終的にはすべて読みたいという強い気持ちのもと、読みかけておりますことを申し述べさせていただきます。
まことに申し訳ございません。


次に、

”読まなければいけない順”
ではなく、
”自分の頭にとって読みやすい順”
に並べ替える。

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えー。
どっちが読みやすい方で、どっちが読みづらい方かはさておき。

この場合の読みやすさは、単純な理解しやすさや文章の難易度の問題ではなく、文字の行間の空き方、書体、本の大きさ、一度に目に入る表意文字の数など、脳がバグっている人にとっての視認性が、大きくかかわっております。
断じて、著者の方の責任ではございません。

でも今、並び替えてみて気づいたけど、表意文字、つまり漢字が一度にたくさん視界に入ると、全部の意味が一度に脳内に入ってきて混乱するんだわ。
並べ替えてみて気づいたけど。
そんで、見慣れない、似たような漢字の名前がいっぱいあるやつはよけい混乱すんのね。
視界に入った時の反射的な処理が難しくなるから。
――違うんだ、応仁の乱が悪いわけじゃないんだ。アレは応仁の乱を理解するうえでは、ものすごくわかりやすい本なんだ。
半分以上読んであるけど本当にわかりやすいから。
悪いというなら、応仁の乱そのものが悪いんだ。

あと、捜神記や列仙伝は、本文は楽なんだけど、注釈がしんどい。
脳のワーキングメモリがバグってると、行ったり来たりしなきゃいけなくて。

しかし、安田峰俊氏の著作の読みやすさは抜群でビビったわ。
文章の処理速度がめちゃくちゃ速い。
すごい。


そしたら、

どこでいったん線を引くか、

を決めなきゃならん。
読みたさの面では、つまりモチベーションについては、割と全体的に高めなんだよな。
すべて読みかけているところからお察しいただけるとは思いますが。

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涙をのんで、こう。
ハバナの夜よりもこっちで絞ろう。

どっちがどうかはもうお分かりいただけていると思いますが。

そして、そのままの形で、そっと優しく本棚に戻す。

今回は初回の試みでもあるので、可読性4.1以上(本人調べ)の本のみに絞らせていただきました。


しかし、

文庫も新書も、出版社によって、視認性が全く違う

ということを、ものすごく意識させられたな。
こういう形式の決まった書籍の基本的なフォーマットって、めちゃくちゃ考え抜かれたうえで作られているんだと思うけど、そのうえでも更にここまで視認性に差がつくのか、というのはなかなか衝撃。

そのね、岩波よりも小学館の方が見やすいというのは、情報量の違いがあるから当然とはいえ、今までは見落としてたけっこうでかいポイントかもしれない。

おそらく、想定読者層の文字の密度への慣れを考えると、まったく合理的な選択なんだろうと思うんだけど。

あとやはり、ある時代以前の本は、格段に視認性が下がるということ。

わかってはいたけど歴然と感じた。

難読傾向の人にとっての視認性が、どれほど大事かという話。
自分の体にも起きてたやつだったんだな、というのをまざまざと感じた。
こういう感覚の共有を意識することは、たぶん大事なことだ。


というわけで、今回ピックアップした7冊を、このさきしばらくのマイ課題図書にしようかと思います。
結果は後日。

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イエモリヒコヤ
金銭を与えると確実にえさ代になります。内訳はだいたい、本とコーヒーとおやつです。