2人目を産まない理由
今小学1年の息子が1人います。この子を産んだ時私は34歳。高齢出産といわれる35の少し手前での出産でした。妊娠中はつわりなどで苦しむこともなく、ぎりぎりまでダンスインストラクターの仕事をしながら過ごしました。旦那がアルバイトで私が主軸で働いている我が家では、私の給与が減ってしまうと生活できず、休暇を取りたくても取れなかったというところが正直なところ。育児休暇の手当てって、実際の給与の半分ぐらいで、それでもないよりありがたいけど、産む前も産んだ後も早く戻らないと生活できない…がリアルな悩み。おむつ代やミルク代や検診や、産んだ後どうなるかって、情報集めるのもなかなか大変で、行き当たりばったり。それでも申請はしっかり出して、出産手当やもらえる保険は全てもらって出産後の3か月間の生活を何とか乗り切りました。(まぁマイナスでしたけど。)一番大きかったのは、任意で入っていた女性特約のついた保険の申請ができたこと。出産のとき、急に血圧が200まで上がって死にかけたのですが、吸引分娩でなんとか親子ともども命拾い。診断書には一度おなかの中で死んでいたと書かれていて、びっくりしました。ホント生きててよかった。
9月に出産して、11月末には仕事復帰。母乳で育てることを勧める病院だったのと、あまりミルクを飲んでくれなかったので、仕事復帰後もレッスンの時以外は、わが子といつも一緒。許してもらえる環境に感謝しつつも、この頃が体力的にも精神的にも経済的にもつらかった。数時間おきの授乳は昼夜問わず30分ぐらい時間を取られ、仕事で間が空くと胸が張って痛いし、漏れるし。寝不足が精神的にも不安をあおって、この生活がいつまで続くのかって思い悩んだりして。
そうして、息子が2歳になる頃、いよいよ仕事に本格復帰となった時には、保育園探しが始まり、園に見学に行っては、そこの園長先生や先生方に見てあげられるなら今の時期はお母さんがそばにいてあげた方がいいと説教されて、なんだか悪いことをしているようなきになって涙がでた。やっとみつけた無認可保育園は、保育料が高くて、とてもフルでは預けられず、半分にして半額の交渉をした。そしてあとの半分は旦那の実家にお願いすることに。半額でも月に3万円ぐらいかかった。死ぬ。旦那の実家には水曜日の午後から金曜日の朝まで毎週預けていた。これが救いだった。結局週に2日は育児をせずに生活ができた。母親なのに。でも、これがすごくよかった。罪悪感もすごくあったけど、それよりも会えない間に息子への愛情は倍増して、育児を理由にできていないことを片付ける余裕ができた。そして義理の父母にも勝手ながら喜んでもらえている気がして、旦那の前の嫁と子供2人がいなくなった淋しさを少し埋められた気がした。(注意!死別したわけではない)
年中・年長になる前に、どこでこの子を育てていくか問題がやってくる。私の実家でも実の兄が第一子を出産。もうこっちを頼るのはやめてくれと兄からの忠告。これもかなりきつかった。レッスンの間預ける場所を失った。もう頼れる場所は旦那の実家しかない。でも毎度毎度迎えに来てくれる祖父母にだって限界はある。せめて近くに住めないか。経済的な問題を含めて、私は一緒に住みたかったけど、旦那は猛反対。まぁお互いに良い距離を保てるのが一番だとは思うけど、だったら金をくれ…で若干の冷戦状態。結局、旦那の実家の近くのアパートに引っ越すことになり、旦那も私の生活に合わせてアルバイトを変えてくれた。保育園も市営の認可保育園に入れることになり、希望がみえた。家賃は7万円、保育園は2万5千円(土曜日含む)、旦那は7-16時のバイトに変更、日月休み、実家まで100m。完璧。
しかし。。。息子は全然新しい園になじめず、毎朝戦争。泣いている息子を担いで園に放り込んだこともあった。言葉も覚え、感情をぶつけてくる息子。「ママ、おしごといいかないで」がこの頃一番つらかった。一緒にいたいとしがみつく息子を振り払うときほど悲しいことはない。泣きたいのはこちだ。園に送り届けて、次に息子と会うのは次の日の朝。私と息子が一緒に過ごせるのは、朝起きてから園に行くまでのほんの数時間だけ。毎日10-22時の勤務時間で、土日も20時21時ぐらいまで仕事。調整で半日お休みをとったりしたとしても、父親の日月休みに合わせて息子と3人で過ごせるのは年に2.3回といったところ。それでも社員数人の小さな会社だから、4大を卒業して最初に就職した大手企業の初任給にいまだ及ばない。お金や時間のことを考えれば、子供のために転職すればいいじゃんって意見にはごもっともと言いたい。旦那にちゃんと働いてもらいなって、それもまぁごもっとも。でも現実、今田舎の中小企業で働いている働き盛りの3~40代って、みんなこんな感じなんじゃないかな。共働きでやっと1人分。裕福じゃないけど、ド貧乏でもないし、なんとか生活できてるから良しとしよう。って。
小学生になって、義務教育期間。これで楽になる!と思ったら大間違い。無償教育とはいえ、体操着や上靴や、給食費や積み立てとなんだか思っていたよりお金がかかる。園のころに比べれば多少楽ですが、その分食べる量も増えれば休みの日も多いし、遊ぶおもちゃも高額になる。傘もすぐ壊すし、運動靴はすぐボロボロに。習い事もそろそろなんて考えたら、全然ランニングコストが減っていかない。2人目かぁ。。。必死で小学生まで頑張ったけど、大して母親としての責任果たせてないし、もう40だし。頼りたいジジババだってもう70後半に差し掛かっている。今産んだとして、成人するころには60代。こんな不安定な日本で、この子達はどう生きていくんだろう。
1人目を育てた経験が、よほど良いものでない限り、だれも2人目を望まない。思うとすれば、この子が一人で生きていけるか心配だから、兄弟を残してあげなくちゃという正論。まずはお金の問題。でもそれだけじゃない。やっぱり子育ての環境も大事だし、周りのサポート、コミュニティも大事。さらには明るい未来を想像できなければ、出産の動機は激減する。不幸になるとわかっている子供を産む親はいない。
これから20年先のこの国は、今の30~40代の私たちが作っていかなければならないはずなのに、日々の暮らしに追われて、50~60代の指示に従うことで精一杯。そこに自分自身の意志や夢が乗っかていればいいけど、作業のような仕事をしている人が大半なのでは?自分自身の70代の親をみて、希望を持てているか。日本はたくさんの老人をのせて、若者をのせる余白がなく、10年前の動力に頼って、ゆっくりと谷に進んでいる。わが子を救うためには、今すぐこの船を降り、ゴムボートで未開拓の島に脱出するしか生きる方法はない。そのゴムボートは親子3人がギリギリなんだ。
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